2011年12月4日日曜日

青テント

2週間の予定で一時帰国、明日帰るはずだったのですが、急遽変更して、またしばらく日本にとどまることになりました。すぐ戻るのだから、とスーツケースに詰める予定品を並べておいたけれど元に戻しました。約3ヶ月の間の雨風で汚れに汚れた窓ガラス、どうせまた留守の間に汚れるのだからときれいにするつもりなかったけれど、やっぱり窓拭きしなくてはと思っているところです。

その窓から多摩川を見下ろすと、川べりに並んだ青テント。ウソでしょう!?
急に数が増えたみたい。

2009年に日本に戻ってきた時は、窓から見える範囲に青色は一個もありませんでした。多摩川ベリを少し歩いて初めて数件の青テント住居に出会う程度でした。それも東京都側だけだったのに、その後、窓から見おろせる神奈川側に少しずつ青色が目立ち始め、今は10数軒並んでいます。

どんな人たちが住んでいるのだろうか。
ご近所付き合いなんていうのもあるんだろうか。

これから寒くなってくると大変だろうな。

オランダには運河に浮かんだボートを住居にしている人が大勢います。
きれいなカーテンがかかった窓の向こうにはキッチンの様子やゆったりしたリビングルームも見えます。庭まで作っている人もいます。

ボートには住居表示もあり、ちゃんと住民登録されているみたいです。

状況が全く異なるから比較なんてすべきではないのかもしれませんが、青いテントに住む人がこれからも増え続けるのだったら、何か、もう少し人間らしい住処を提供してあげられないものだろうか、と考える今日この頃です。



2011年10月24日月曜日

一泊パリ旅行

何年ぶりのパリでしょうか。オランダに住んでいた頃、ほぼ毎年のように遊びに行って、その都度五感に刺激を受けて新鮮な気持ちになったものでした。

今回は高校時代からの友人苗子さんと彼女の仲間のジャンピエールさんの二人が主催して還暦祝いのパーティを開くというので、夫と二人馳せ参じました。車で片道5時間、本当にこのパーティに出席してトンボ帰りしたのですが、特別な二日間になりました。

集まった人たちは演劇や芸術関係の仕事をしている人が多く、気さくで楽しい会話が延々と夜更けまで続き、その合間にシャンペンにワイン、手作りのお料理の数々、刺激的でした。(といっても私にはフランス語のおしゃべりは皆目分かりませんが。)

苗子さんは20代で単身フランスに渡り、フランス人男性と結婚して、フランス語の社会で人生の半分以上を送って来たことになります。ご主人のジャンフランソワさんは日本語を話し、とても日本的なところのある人で、私は彼がフランス人だということをほとんど忘れています。

その二人とジャンピエールさん夫妻を中心に、集まった70名近くのほとんどがフランス人で、ほかに日本人とドイツ人という構成のこのパーティは、一言で言えば国際的ということなのですが、私には苗子さんが架け橋となって異なる文化が融け合っている、不思議な具合に重なり合っている、そう思えました。




2011年10月9日日曜日

9年ぶりに訪ねた町、アルセン

ドイツ国境沿いを南から北に流れるマース川は、フランス北東部に発し、ベルギーを通って蛇行しながら最後はロッテルダム方面で北海につながる、全長900キロ、細身の風光明媚な川です。

今回訪ねたアルセンの町は、このマース川流域の緩やかで優しい土地柄をそのまま体現している、そんな風に思える、気持ちがとても安らぐ町でした。9年前にお城の庭園公園を訪ねたときに、たまたまふらっと入ったカフェレストランで出会ったスペアリブ、それが忘れられなくて、ぜひもう一度!というわけだったのですが、町のたたずまいは記憶のかけらも見いだせないほど全く初めての町の様相で、私の記憶違いだったのだろうか、と狐につままれたような気持ちです。

それはともかく、10月とは思えないような抜けるような青空、ポカポカと開放的な陽気に片道1時間のドライブは最高の気分転換になりました。

沿道で見かけたパンプキン・セール。

2011年9月12日月曜日

ミニ引っ越し

約3ヶ月お世話になったDesiree(デジレー)のB&Bに別れを告げ、これからしばらくお世話になるMarleen(マーリーン)のホリデーハウスをご紹介。

B&Bとホリデーハウス、一体どこが違うの?
私たちがお世話になっていたデジレーのB&Bは小さいながらもキッチンがあったし、バスルームも独立した専用バスルームだったし、ホリデーハウスと設備的にはほとんど変わりません。
一つ違うのは、B&Bは文字通りBed&Breakfastで朝食付きが基本です。掃除やベッドリネンの交換なども定期的にやってくれます。

方や、ホリデーハウスは滞在中、オーナーは全くノータッチ。最後のお掃除や洗濯だけ、オーナーがやりますが、それ以外はオーナーの介在は一切なし。もちろん、用事がある場合はいつでも応対してくれるそうですが。

今度の場所は人里離れた畑の中の一軒家、周囲はトウモロコシ畑とアスパラ畑、それに牧草地ばかり。食料品や日用品なども隣町まで車で行かないと何もないようです。これまでのB&Bは、周辺に乗馬学校、ビーチバレーコート(そこで国際大会)、キャンプ場、ハイキングコース、サイクリングコースなどなど、休暇に訪れる人を引きつける施設が目白押しでしたが、ここはそういった特徴もありません。つまり本当に何もないのです。

この家を本当の意味で「休暇」に利用する人って、どんな目的で来るんだろうか、「何もしない」というのが目的になるんだろうか、などと考えてしまいます。

道を隔てた向こう側のアスパラガス畑。
この土の下に来年春収穫のアスパラガスが育つのかなあ??

周囲は手入れの行き届いた草花で彩られ・・・

屋内はこんな感じ。リビングルームの奥に書斎コーナー

このひまわりは本物。
窓の向こうは庭の草木の向こうに生け垣があり、
その先の畑の遠景と融け合って緑色のウォールペーパーのよう。

最後に、
Marleenのフラワーアレンジメントをどうぞ。

2011年9月4日日曜日

オランダに戻ってきました

約3週間の日本滞在、イワイ夫が一足先にオランダに戻ったので追いかけるようにしてまたこちらに戻ってきました。行ったり来たりもここまで頻繁だともうそろそろ終わりにしたい!と内心悲鳴を上げています。

昨年から日本航空のアムステルダム直行便がなくなったため、いつも私はパリ経由。パリに降り立ったときのウキウキ感が好きで、経由便の煩わしさはかなり軽減されているとは言え、以前より所要時間が長くなったことで、移動の疲労度も知らず知らずに増えているような気がします。

とは言え、いかに私がうきうきするのか、まあ、聞いてください。
写真はシャルルドゴール空港ヨーロッパ域内の出発ゲート付近です。
ボーディングブリッジが透明で閉塞感がなくしかも機能本意ではなくておしゃれ!ということで飛行機を降りてまず感激するわけですが(その代わり晴れていると温室状態になるけれど)、その後ターミナルビルを歩いていく先々で出会う意匠を凝らした建築デザインに驚きの連続です。そしてこの「透明感」みたいなフィーリングがシャルルドゴール空港の全体を覆うイメージだと思います。写真の天井部分も空が見えます。
縦横の梁が直線的で鋭角な印象なのですが、これとバランスを取るようにほかの部分に実に見事に曲線が使ってあって心地よいのです。

イワイ夫は今回フランクフルトまで飛んでそこから電車でオランダに入りました。目的地がアムステルダム方面ではなくなったので、あれこれ都合のよい経路を模索中です。


2011年8月26日金曜日

節電アレルギー?

今日で14日、涼しいオランダの気温差15度の世界から東京に戻って早や二週間経ちました。やっと時差ぼけが解消されてきたところです。こんなに頑固な体内時計にあきれるばかりです。


このところ涼しいですが、33度とか、34度とか、連日の湿気と暑さにはその数字そのものにビクビクしながら身構えていたような気がします。

ニュースなどで見聞きする日本の対応は、「電気が足りなくなったら大変だから常日頃から節電をしましょう。それには一番電気を使うエアコンの使い方を考えましょう。
普段より設定温度を2度程度あげるだけで節電効果はこれこれしかじか。」一人一人が昨年の消費電力量より減らすことを求められている様です。我が家は去年だって28度とか29度の設定でエアコン使っていたから、こういう家庭が節電するのは結構厳しいだろうな、とオランダのエアコン不要の暮らしの中で考えていました。

実際は、頭の中がぼーっとしてくる蒸し風呂の中で「昔もこんな風だったなあ」と思い出しながら、蝉の声を聞き、額から流れ落ちる汗を拭き拭き、東電の電気予報を見つめる毎日。大企業に15%の節電を課すのなら、一般家庭だってそうそう呑気に電力消費している訳にはいかないだろうな、だから何かしら節電しなくては、という強迫観念が四六時中頭のどこかで私に節電を強要するのです。

昨年の同時期と比較した電力使用量のグラフは、見事に去年の数字を下回っており、日本人の一致団結の効果はすごいとひたすら感心しています。

もっとも、去年までは無限に使える電気を必要以上に使っていたのかもしれませんが。

2011年8月13日土曜日

ワイルドピーチ


これを日本の自宅から打っています。ここのところのお決まりコースでパリ経由、陸を移動中に窓から眺めた空港の建物は、直線と曲線が見事に調和した軽やかなうつくしさ。オランダにはない感覚です。
写真はガラッと変わってワイルドピーチなる珍しい桃、オランダの果物屋で売っていました。しっかりした味で、いかにもワイルド。どうしてこんなにつぶれちゃったんでしょうね。

2011年8月7日日曜日

放射能汚染

アムステルフェーンまで出向く用事があったので、これを機会に友人とランチ。日本食レストランに行きました。オランダ南部の小さな町にいると、日本食材もほとんど入手できないので、今日は本当に久しぶりの日本の味を堪能しました。

そこで聞いた話は、日本食材の輸入が制限されており、定番メニューがかなり減ってしまったとのこと。それっぽい食材はアジア各国から入ってくるそうですが、本物は、日本の生産者が放射能汚染がないことを保証する必要があり、そこまでやってくれるところが少ないとのこと。

友人の話では、アムステルダムの老舗食材店「Yama」が閉店、「Meiji-Ya」もテイクアウトが増えた分食材のスペースが減ってしまったとのこと。お米を買いに行ったのに売り場になかったこともあるとか。こういった最近の傾向に、今回の放射能問題が重なった形です。

ちなみに二人で寄ってみた食材店も、棚の上があちらこちらに隙間が。ひところに比べると全体量は半分程度になっているのではないかと思います。それが、今回の一件のせいなのか、それとももっと別の事情が絡んでいるのか、それは私にはわかりませんが、日本の状況を考えると、しばらくはこういう状態が続くのでしょう。

2011年7月26日火曜日

今週の花

そうか、スマートフォンから投稿できるのだった。と気づいて写真撮ったのが既に三日もたっていたのでちょっとくたびれてきた黄色バージョン。
それでも、こうやって私の帰りを一日中健気に待っています。

2011年7月25日月曜日

歩け歩け

ナイメーヘン、という地名を聞くと私は1977年のアメリカ映画「遠すぎた橋」をまず思い浮かべます。連合軍の取ったマーケット・ガーデン作戦というのがテーマで、ドイツ軍に占領されたオランダ側の地名がいくつも登場し、その中でこのナイメーヘンとアーネム、それにアイントホーフェンなどの地名を私はそのとき初めて知りました。映画そのものの内容までは仔細に記憶していないのですが、何か、どこか心に残る、単に戦争映画というジャンルにとどまらない、のどかなオランダの田舎の風景をバックに歴史の1ページを垣間見た気分でした。(リチャード・アッテンボロー監督ですしね)

そのナイメーヘンで、歩け歩け大会が開かれました。
毎年この時期、一週間はお祭り騒ぎだそうで、「ナイメーヘンの4日間」と題する誰でも参加できるイベントだとか。

私たちが行ったのは肝心のイベントが始まる直前でしたが、町全体がお祭りシフトで、駐車場、駐輪場が臨時に設けられ、通行止めがあちらにもこちらにも。目抜き通りにはブラスバンドの演奏、仮設ステージでの大音響の各種ミュージック等、とてもにぎやかな雰囲気に包まれていました。

人口16万というだけあって、久しぶりに都会に「出てきた」気分。平坦なオランダにあって、ドイツに近いせいか街自体に起伏があり、石畳の坂道を歩くなんてこともあったりして、楽しめました。

この「起伏」、ナイメーヘンがローマ時代から戦略的に重要だったことを地形から納得しました。旧市街の中心からさらに登ると、その先は見晴らしのよい丘で、ワール川の蛇行した流れが見渡せます。真下には移動遊園地の観覧車がゆっくりと回っているのが見えました。



2011年7月17日日曜日

2ヶ月ぶりのクッキング

オランダ式の朝食と昼食(パンにハムとチーズ)の毎日で、夕食くらいまともな食事をしたいと思っていました(という言い方するとオランダの人には申し訳ないですが)。

その毎日の夕食作り、ここB&Bでは電子レンジが唯一の調理器具です。電子レンジクッキング用の道具も持ってきているので、魚も焼けるし、カレーライスだって作れます。日本でも大ヒットしたルクエで素材の味を生かした調理ができるのもありがたいことです。

とは言っても何か味気なく、焼きそばをジュージュー音を立てて調理したいし、スパゲッティをアルデンテで食したいし。

そこでオーナーのキッチンを時々借りることにしました。オーナーはいつでも使っていいから、というのですが、キッチンって主婦の城みたいなものだから、勝手に使うのは遠慮したいとか、オーナーが食事の支度をしている時間帯には邪魔したくない、とかいろいろ考えるとそうそう簡単ではないなあと遠慮していたのでした。

今日は手始めに持ってきたカレールーを使ってカレーライス。電子レンジで作っていたのとはやはり違います。ご飯も電子レンジとは出来上がりが違います。なにより、広々したキッチンで、調理道具がそろった場所で、複数の作業を同時に進められる、その快適さに満足。

出来上がったカレーライスは、日本に行った事のないオーナー一家におすそ分けしました。
さてさてどんな感想が返ってくるでしょうか???

2011年7月10日日曜日

今日の生け花

B&Bのこの部屋には2箇所(ダイニングテーブルの上とソファ脇のサイドテーブル)、生の花が活けてあります。オーナーが時々、部屋の掃除のついでに活け替えてくれます。

今回は、青紫のランの花とグレイがかったペールピンクのバラ、それにイネ科の穂のような草がまるで花嫁のベールのような優しいアクセント。(この写真では全て青みがかって見えますが、実際はもうちょっと赤味を帯びています)


もう一枚は、昨年のピンクシリーズです。庭に咲いている花を摘んで活けただけ、とオーナー。

今回は滞在が長いので、毎週毎週異なる趣の花に変わっているのを実感しています。


毎日が時差ぼけ

オランダ・スキポール空港からパリ経由で成田空港まで、結構長旅でしたが、それほど疲労感を感じることもなく、仕事しながら、孫との再会を楽しみました。年々時差に対応できなくなっていましたが、今回は全くだめ。毎日夜中に目がらんらん。薬の世話になって無理やり睡眠をとって過ごしました。

ユビキタス社会ってこういうことか、と実感しています。
メールとSkypeでほとんどの用事がこなせます。足りないのは、相手を目の前にして、目と目でコミュニケーションを取ることくらいでしょうか。

帰りは深夜便の羽田発で日曜日中に戻ってきました。翌日月曜日の朝から仕事して、結局これだけの空の移動でも勤務時間にはロスが出なかった格好です。その代わり、時差ぼけはダブルになって、日本ではオランダ時間で過ごし、オランダでは、とんでもない時刻に睡魔に襲われ、もう若くないのにこんなことはしない方がいいんだなあと感じる毎日です。

2011年6月27日月曜日

おいしいしかけ




オランダの南部ブラバント州で暮らす毎日は、のんびりとした自然体の環境のせいか、仕事のことでカリカリ来る以外はごくごく淡々と時間が流れていくようです。そうした単調さに、一ヶ月経ってみて、だんだんと飽きてきました。それを自覚したのは所用でアムステルダム方面に三日間だけ移動した際でした。こんな小さな国ですが、たった一時間半のドライブでこんなに風土がちがう。南部で退屈してきた私の気分がガラッと変わりました。

南部の食べ物は、野菜がおいしくて、ルクエを使っての電子レンジ調理に何の不満もなく、時々の外食も決して悪くないのです。でも、以前の住み慣れたアムステルフェーンや当時よく訪ねたハーレムなど、気取らないカフェやくつろげるレストランでの満足度は、南部では味わえない類いのものでした。

何が違うのだろうか。

それはサプライズの気分とでも言えるでしょうか。

写真は昔の風車小屋の内部をバー兼レストランに使っているお店での一こまです。
ワイングラスもビールグラスも普通じゃない。木製の受け台の穴に刺さっているからかろうじて倒れない。テーブルの上におくことが出来ない、不思議なグラス。テーブルマナーの先生が見たらびっくり!の発想です。、

さらに出てきた一品もこのように斜めに傾いた器に入っていました。二つの異なる味を一つのお皿に盛るのとは少し違った、別の楽しみ方の出来る盛り付けでした。(よくよく眺めたら、なんだか食べかけのごちゃごちゃしたお皿にしか見えないので、やめました。その代わりに、こちらもあまり出来はよくないのですが、ミントティーとアップルケーキの写真を下に載せました。 ( 9/Jul. ばぐまま)

また、写真はありませんが、嬉しくなってしまったミントティーのサプライズ。大振りのガラスコップに生のミントが山のように差してあり、そこに目の前でお湯を注ぐだけ。ミントの葉はコップからはみ出しているので、ただお湯を注ぐだけではティーになりません。お湯に全体が漬かるようにスプーンでギュッギュッ。そんな一つ一つの作業がおいしいミントティーへの期待を高めてくれます。


おいしいと思うその仕掛けはこんなところにもありそうです。

2011年6月6日月曜日

おいしい表情

日本では食べ物に関するテレビ番組が氾濫しています。
私は食べ物をアップで映し出すカメラワークがなかなかだと思うものの、「これを見なさい」という押し付けがましいところが好きではありません。だったら見なければよいので、この種の番組はあまり見ません。

でも、たまに見てしまうことがあります。それは旅の番組中の食事場面です。

おいしいっ!という表情が、ムムム、くるしーいっ、と言っている様に見えます。
あまりのおいしさに、息が止まりそう、という意味なんでしょうか。

オランダに来て、おいしそうな表情を見て、そうだった、おいしい表情っていうのはこういうんだった、と思い出しているところです。

2011年5月31日火曜日

出会い

2009年10月以降、オランダでの定住場所がなくなり、私は来るたびにB&B (Bed&Breakfast)で気に入った場所を見つけては2週間とか3週間、あるいは一ヶ月という長期滞在を繰り返してきました。都合4箇所。そのうち、2箇所はリピーターになっています。リピーターになるかならないか、その境い目は地理的、金額的な条件も大いにありますが、オーナーとの心の距離が決めてかも知れません。オーナーとゲストという距離感を感じさせない人、どこか波長が合っているような気分にさせてくれる人とでも言えるでしょうか。

今、私がお世話になっているB&Bのオーナー、デジレー。広大な敷地に大きな邸宅を構えるワーキングウーマンで、インターナショナル企業に勤めていたご主人の転勤でアメリカやドイツに家族で住んでいたことがあるこの女性も、会った瞬間に何でも話せる気分になれる、なんだか楽しい気分になれる人なのです。


2011年5月29日日曜日

不思議な飛行

これは、先日パリからアムステルダムまで飛んだ際に窓から眺めた空です。
何の変哲もないただの雲の写真のようですが、画面全体にもくもくと広がる雲の一団のさらに下にも同じように雲の一団が見えました。地上はその雲の下にくっきりと見えていました。この写真ではちょっと判別できないけれど。

飛行機は雲の全くない澄んだ空を飛んでいます。でも上空の雲がブランケットのように覆いかぶさっています。遠くに見える青空が私の乗った飛行機が飛んでいる空間なのです。

The Nature of Success Movie | The Nature of Success

なにか、とてもinspiringだったのでおすそ分け。
The Nature of Success Movie | The Nature of Success

2011年5月28日土曜日

オランダの雲

26日、パリ経由アムステルダムへ飛びました。
日本航空のアムステルダム線が廃止になったのは昨年10月、直行便はKLMだけになったけれど、経由便でもよいからJALにしているのは、JALの方が静かだから。

JALが経営悪化でたたかれた理由の一つに、機体の刷新が進まずいつまでも燃費の悪いジャンボ機を使っているから、というのも読みましたが、私にしてみればJALはかなり前から新型のボーイング777だったのに対してKLMは今でもジャンボ、昔はそのジャンボ機の二階席が気に入っていましたが、最近は騒音が大きくて、静かな777に慣れてしまった耳には耐えられません。

というわけで、今回も敢えてJAL。でもこれは長旅です。しかも今までとちがって、昨年以降仕事場がオランダ南部中心になったため、スキポールについてからさらにタクシーで10分ほどのところへ車を取りに行き、そこから約2時間のドライブ、結局昨日はがんばれなくてホテル一泊して今朝早く事務所まで走りました。

早朝のオランダの空、そして緑のシャワー、心が洗われます。
雲のたなびく具合がまたほほえましく、こんな空日本では見たことない、とまた感激しています。

2011年5月21日土曜日

新緑から深緑へ

散歩コースになっているこの道、季節の移り変わりを確実に感じます。

来週からオランダへ行くというのに、支度がなかなかできません。
今、ディーラー会議のための招待文を考案中です。
たったA4一枚程度の内容ですが、ああでもない、こうでもない、と何度も何度も手直ししています。
よく、キリがないから適当なところでやめてはどうか、と言われます。
本当に、キリがありません。

だれでも、キリがないから適当なところで終わりにするのです。その適当なところが人それぞれで違っているだけなのだと思います。

2011年5月18日水曜日

この静けさが・・・

この2ヶ月あまり、毎日NHKテレビを見ない日はありません。今までテレビなどなくても気にならなかったのに、かえってテレビがついているとわずらわしかったのに、今は震災の情報を得るために、福島の原発事故の収拾がどのように進んでいるのか知りたくてスイッチをオンにする毎日。

自宅で仕事をするようになって一年ちょっと。オランダに行っている期間を除くとこのSOHO的ワーキングスタイルにやっとなじんだところです。15階の窓から多摩川の川岸とその向こうに聳え立つNEC本社ビルとそれを取り巻く低層の家並みがフィレンツェのドームから眺めた町並みだとか、ベルサイユの眺めをなぜか連想させます。

静かです。キーをたたく音以外、これと言って物音がしないこの静けさ、テレビ画面に映る外の世界とはなんと隔たりがあるのでしょう。

来週はまたオランダです。

2011年3月26日土曜日

今日から私もBlogger

ずっと抵抗がありました。
簡単に心に浮かんだことを直接公開できてしまう、このブログという便利ツール、簡単なゆえにとても怖いと思っていました。今もある意味で、怖いことだと思います。

私にはホームページがある、ここ何年と自身で書いたものは何も更新していないので「ある」とは言えない状態ですが、それでも再開しようとも思えばいつでもできる道具があるのだから、もしウェブ上で何か行動するなら既存のホームページに積み上げていきたい、その思いは今も変わっていません。

では、なぜ今ブログ?
やっぱり簡単そうだから、かなあ・・・

自分で体験してみないと何事も本当のところはわからないですからね。