2012年5月13日日曜日

北京にて



4月下旬、84歳になった母のお伴で北京まで行きました。2005年の前回訪問は3月末の猛烈な寒気しか印象に残っていません。たった一ヶ月の違いですが、北京の天候は暑くもなく寒くもなく。そこで目にした光景は、2008年の北京オリンピック開催がもたらした近代化と車社会がもたらしたスモッグでかすんだ空。北京首都空港を始め、オリンピックメインスタジアム「鳥の巣」とその周辺の巨大な建築群、ユニクロの美しい建物とスターバックス、そして若者の街『西単』、どこも規模の大きなモダンな街並みで、そこに大勢の人々が行き交い、まさに中国の活力を目の当たりにしました。

その反面、FacebookやTwitter、YouTube、Googleなど御法度で、この規制が如何に不自由なことなのか、実際に体験して初めてわかりました。ネットがインターネットとして全世界を駆け巡っているにも関わらず、それへのアクセスが制限される。国が変わると得られる情報が異なることはほぼ当たり前のようにどこにでもあることかもしれません。ただ、日本にいるとそれをあまり意識しないで済んでしまいます。どんな情報でも得ようと思えば手に入れることができる日本。そうなると、今度は中国とは反対にあふれかえる情報の中でややもすると消化不良を起こして、何が本当に必要な情報なのか分らなくなりそうです。

また、中国の場合とは異なりますが、ここオランダに住んで英語や日本語で得られる情報はほとんど限られています。そうするとどんなに情報そのものが各メディアを通してふんだんにあったとしても理解できなければその情報は存在しないのと同じです。中国と違って情報はそこにあるのに使えないというまた別の不自由な状況がそこにあります。最近のインターネットサイトの自動翻訳技術の進歩は理解の足しにはなるものの不十分な翻訳は弊害も多く、情報管制なしの情報の限定であることには変わりありません。

情報とどう向き合うのか、ほんの少し真剣に考えた数日間でした。