2014年2月10日月曜日

都知事選が終わって -2月15日加筆しました-

結果は舛添氏が選ばれるだろうことは、期間中ずっと、ほとんど疑いの余地がないほど明かでした。それでも、やはり疑問は残ります。

1)メディアの報道管制、報道の自粛はあまりにも不自然でした。今回舛添氏のとんでもない発言が後から後から明るみに出て、とうとう「舛添さんを都知事にしたくない女たちの会」まで発足し、海外メディアもこぞって伝えました。しかし、国内では主だったテレビや新聞はだんまりでした。事実、ちょうど投票日に集まった友人5人はだれもこのニュースを知らなかったし、別のところでこの運動に賛同してほしいと頼んだところ、悪意があって舛添氏を落とそうとする運動かと疑った人もいました。何しろどこにもそんなニュースは流れないのですから。

2)メディアの報道管制、報道の自粛その2。メディアの欠陥をもっと端的に表しているのは、公平という錦の御旗のもと、何も報道しないという姿勢です。そして何も勉強しようとしないコメンテーターたち。ネットをやらない有権者は候補者の政策や人柄、バックグラウンドなどほとんど知りようがありません。候補者のスローガンからかろうじて類推するだけです。また、報道に携わる人たちは候補者の政策をきちんと読み込んでおらず、知らないまま間違った(あるいは不十分な)情報に基づいて有権者に語るため、正しい情報はますます闇の中に埋まってしまいます。今回、私はこのことを宇都宮けんじさんをずっとフォローして初めてわかりました。宇都宮さんの政策は実にきめ細かく練り上げてあり、すべてについて決められた時間内に十二分に話せないという情況なのに、コメンテーターはそれを政策がないとか、話題にならなかったと言わないで欲しいと思います。

3)大雪の影響で投票率が低かったのだろうか。終わってみれば46%の投票率。都民は不毛な知事選に嫌気がさした、争点がぼけた、とか言われています。そこに大雪の影響で出足が削がれたと。でも、ほんとうのところは最初から都民という意識を持った都民は少ないのだと思います。東京の下町や古くからの住宅街に長年住んでその土地に愛着を抱いている都民ばかりではない。多くの東京在住者にとって東京はチャンスを与えてくれる場所でしかないのでしょう。

普通選挙が実施され、男性のみでしたが参政権が樹立されたのは1925年、女性の国政参加は戦後になってからの1946年、僅か68年しか経っていません。多くの人権活動家の血の滲むような努力があって得た権利なのです。いま、その権利について、「勝ち取った」という認識を持っている人は果たしてどれほどいるでしょうか。勝ち取ったという経験がないので、粗末に扱っているのかもしれません。民主主義然り。これは文字通り「民」が「主役」という考え方だと思います。一人一人が自分の頭で考えて、隣の人、向かい側の人と意見を交わしながら、繋がって行く。そうやって皆が参加して成り立つ社会が民主主義社会。時の権力者の強権の下で右向け右となす術もなく流されて行くのはもうこりごりです。いま、東京デモクラシー、草の根デモクラシーという言葉が少しずつ広まっています。その言葉の意味をもう一度考えてみたいと思います。

投票率の低さは、大雪のせいではなく、まさに都民の実態を表しているだけなのかもしれません。