2014年5月3日土曜日

あれから三年が過ぎて。。。

福島の原発事故から3年経って、福島の人たちのふるさとへの思いや、現実の生活不安、先行きの見えない焦燥感など、ちょっと考えただけでも国への怒りがこみ上げてきます。その反面、直後の恐怖感のような感覚は薄れ、危険に対する備えも忘れかけています。本当は、以前にも増して危険なのではないか、状況はほとんど改善されないのに、そのこと自体に疎くなって行くのは、本当に危険なのではないか、原子力村の人たち、原発を推進したい人たちにとって、私たちの感覚が鈍ってくるのは願ってもないことでしょう。

(ちょっと話が飛びます。)
いつだったか、フランス語の先生と雑談をしていたとき、戦争の話になりました。もし、自分の愛する人がただ「敵だから」という理由で殺されたら、あなたはどうするか?というテーマで話しました。 彼は、「復讐する!愛する人を殺されたら、地の果てまでも追いかけて行って同じことを、同じ悲しみを相手にも相手の家族にも」と。普段はとても理性的で、クールな印象の人なのですが、だからこそ、そんな理不尽なことは許せない、理由なく受けた被害は黙って見過ごせない、という強い思いが伝わってきます。

翻って私はどう考えるだろうか。きっと、しばらくの間は報復するにはどうしたらよいかと考えてみたり、ただひたすら悲しんだり、めちゃくちゃになるでしょうけれど、次第に「仕方のないこと」「やられたらやり返す、を続けても終わりがない」「悲しむ家族を増やしてよいのか。悲しむ人は私だけにしておかねば」という気持ちになってくるでしょう。ずっと変わらずに復讐するのだ、と思い続けるのはとてもエネルギーの要ることです。
 
日本人は熱し易く冷め易いとよく言われますが、本当にそうかもしれません。どうもすぐに諦めの気持ちになってしまうような気がします。

(ここで元に戻って)
今、私たちは原発事故の直後に「このままこんなことを続けていてはだめだ。日本は変わらなければ。今ならそれができる」と多くの人が 脱原発、反原発の意思を持ったことを忘れたかのように流されるまま、意図しない方向に向かっているような気がします。
あれだけの大事故とそれに因って受けた損害や心の傷に対して責任の所在もわからず、反省や対策も曖昧なまま、ずるずると原発再稼働に引きずられて行くという構図は、まさに私たちの冷め易い気質を利用し、あきらめムードが流れるのを原発推進派は計算済みなのではないかと思えてなりません。