2013年11月14日木曜日

電車の中の幸せ

東横線、日中はがらがらでのんびりしています。
向かい側の席に中年の女性がひとり。考え事をしているのか、難しい顔。

隣にバギーを押した若い母親が座りました。バギーに赤ちゃんを乗せたまま、赤ちゃんの顔がよく見えるように、向き合うようにバギーの向きを変えました。そして赤ちゃんに目で話しかけ、幸せそうに微笑んでいます。本当に幸せそう。私のところから見えないけれど赤ちゃんもきっとお母さんを見つめて笑いながら言葉にならない言葉で話しかけていたのでしょう。見ている私もとても幸せな気分になりました。

でも、バギーのその向きだと結構場所を取るので、ガラガラで空いている電車とはいえ、通路の半分以上を塞いでしまいます。私は、ちょっとハラハラしました。だって、乗客が何人もそのバギーを避けるようにして右から左、左から右へと移動して行くのですから、「じゃまだな」と思う人もいるんじゃないかと。でもそれは杞憂でした。

赤ちゃん連れにはバギーがすこしぐらい場所を取ってもしようがない、という感じで、みんな当然という風にバギーにぶつからないよう、よけながら通って行きます。

そして、左隣に座っていた難しい顔だった女性が赤ちゃんを見て、ニコッとして、そのお母さんと話し始めました。なにやら話が弾んでいます。お母さんと赤ちゃんの間のあったかい空気がその女性の周りも包みました。

しばらくすると、もう一人、別の女性が今度は右隣に座りました。そして赤ちゃんを見てにこっと笑って幸せそう。あのあったかい空気がさらに広がりました。

バギーを押したお母さんが来る前にはなかった愛にあふれた空間。言葉じゃない。愛情が、母の愛が、子の母を慕う思いが辺りを包んでいくのです。


2013年10月1日火曜日

つれづれ

またしばらく間が空いてしまいました。
この夏はあまりの暑さで、何もかもが停滞していました。

さて、安倍首相が消費税の8%を来年4月に行うとのこと。いよいよ来たか。これまでも安倍首相の威勢のよい、自信に満ちた「日本を元気にする」というかけ声にだまされた気分になりましたが、大企業優遇・庶民無視の現政権の姿勢に私はもうだまされないぞ!という気持ちです。

2020年のオリンピックパラリンピックが東京に決まったというニュースが流れたとき、関係者がこぞって歓喜に小躍りする姿を見たとき、私は悲しかった。これまで東京でオリンピック?それもいいかもしれない。何か目標があるっていいかもしれない。内向き国民性が少しは外に向く、ちょうど良い機会かもしれない、などとのんきな事を考えていました。オリンピック招致の意味すること、お金が回るかもしれないけれど本当に回って欲しい人に行かずに浮かれた人たちの間で回るだろう事には思い及びませんでした。

でも、いまははっきりと見えます。建設の槌音が更なる自然破壊につながり、人々の関心や人々の税金が本当に必要とするところへ回る事はないだろう事が。

Fukushimaは2年半経って、少しずつ隠されてきた真実が暴かれ、それに伴ってあの事故はあらゆる点でこれまで日本人、さらに人類が経験した事のない大事故だった事がわかってきました。こんなに困難なFukushimaの現実から目を反らし、忘れ去って行こうとしている人たち。悲しすぎます。


2013年8月6日火曜日

ヒロシマ 8月6日

その日、私の義理の母は広島市大手町の自宅にいて被爆した。義父は仕事で県外にいた。
私が義母と広島の家で一緒に過ごしたのはほんの数えるほどの日数だ。海外勤務がほとんどの夫について私も日本にいることが少なかったからだが、夏のこの時期、何度となく母はこの日の記憶が蘇ってくるのか一言二言話し始め、そしてそこでことばを濁してそれっきりになった。あの体験はとても言葉で語り尽くせるようなものではない、地獄だったと。

私の夫は戦後の生まれだが、当時10歳の兄にあたる人がいた。母は崩れ落ちた家の下敷きになって身動きが取れず、ちょうど母を心配して戻ってきた兄に、あの兵隊さんについて逃げなさいと、身動きができずにいる母を助け出そうとする兄を制して言ったのだそうだ。その兄とは、結局それが最後の会話になってしまった。どこかで生きていてくれれば、と八方手を尽くして探し、毎年この日に新たに付け加えられる犠牲者の名簿も確かめるものの、兄の名前はない。

85歳で 亡くなるその日まで、母は息子の消息を心のどこかで探し求めていたのだろう。たとえわずかなわずかな望みであっても、我が子にはどこかで生きていてほしいと願っていたことだろう。その心の痛みは、私自身が母になって初めて共振を起こし、年を経るごとに我がことのように思えてならない。

戦争を知らない私、原爆を知らない私も、戦争が人々を不幸にし、原爆がこの世界にどれほどの深い傷を齎したか、身近な人の悲しみから察することができる。本当に多くの犠牲の上に今の時代があることを思う。

2013年7月13日土曜日

英語教育に力をいれるそうですが

いよいよ来たか!
大学受験にTOEFL一定以上の成績を条件、高校の英語は授業を英語で行う、とか小学校低学年から英語を必修科目に?と云ったニュースを見るにつけ、こういう改革案を出す人たち自身に英語コンプレックスがあるのではないかと思えてなりません。

小さいうちからコミュニケーションの手段にはいろいろあることを肌で感じることは大切だと思いますが、学校教育で果たしてどこまで成果を上げられるのだろうか、もし本気で「日本人の英語力を高める!」というのなら、それが必然の、生活に欠かせない力だということを誰もが認識できるような状況が必要だと思います。つまり、今のように、テレビの外国語放送を日本語に吹き替えて流さない(せいぜい字幕)、外来語はカタカナに直さず元の言語のまま使う、といった、日常での英語のあり方がまず変わらないと、結局かけ声倒れに終わりそう。この日常に英語が「正しく」入って来ることで、小学校で教える程度の英語的感覚は自然に身に付く様な気がします。そうしたら、小学校の授業時間をもっと別のもっと大切な考える授業に当てられますよね。

それに、日本人全員が英語を話せるようになる必要はどこにあるでしょうか。標準語を英語に変えよう、日本語は捨て去ろうと、そこまで決心したのなら話は違うでしょうけれど、世界の流れに乗り遅れないため、日本の経済発展のため、という理由なら、そういう人を育てる為の高校とか、大学とか、その目的で勉強したい人に勉強してもらえれば充分でしょう。

英語は確かに重要な「外国語」ですが、それは「外国語の一つ」でしかないのだし、何よりも大切なのは日本語の力だと思うのです。

(このコラム、だいぶ前に書き始めてそのままになっていました。状況は何も変わっていないと思うのでそのままポスト!)

2013年5月27日月曜日

食べ残しのこと - 続き

(だいぶ間が空いてしまいました。最近目の前の情報に流されて、何か一つのことをじっくり考えられなくなってきたようで、こまったものです。。。。)

前回ドギーバッグ普及委員会という団体があると書きました。
そこで、このサイトへ行ってみました。

そして、私はまたまた考えました。

この活動自体は、持ち帰りたいのにできないでいる人たちの背中を押すことで無駄をなくして行こうという素晴らしい活動だとおもいます。でも、こういう活動がなければこのまま食べ残しを捨て続けるしかないのでしょうか。

食品の賞味期限・消費期限というものを考えてみました。

コンビニなどの鮮度重視のお店は、賞味期限(あるいは消費期限)を厳守、それを過ぎたら迷わず廃棄だそうですね。

元々、この消費期限とか賞味期限の定義そのものが現実的ではないように私は思います。食品衛生法やJAS法で定められた定義は、複雑で分かりにくいです。賞味期限とは その食品を開封せず正しく保存した場合に味と品質が充分に保てると製造業者が認める期間(期限) 」だそうですが、開封せずに正しく保存、という状態と現実に消費者が購入した後の状態とは決して同じではないはず。味と品質が充分に保てると製造業者が認める期間(期限)というのも曖昧です。


たった一行、賞味期限(消費期限)という文字の為に数えきれないほどの無駄が出る。企業側は規則を守っている。守る為には無駄は致し方ない、ということなのでしょうけれど、元々、上記のような曖昧な基準を遵守することにどれだけの意味があるのだろうか、その為に廃棄される食品。食べ残しで捨てられる食品同様、もったいない話だと思います。

2013年2月6日水曜日

毎日どれだけの食料品が捨てられているのだろう

どら焼きを買いに行きました。夫が出張に持って行くのに、何か日本的な食べ物を、と毎回頭を悩ませています。何も毎回毎回お土産持って行くことないよね、と言いつつ、やっぱり日本からはるばる行くのだから、普段味わえないものをみんなに食べてもらいたいと思ってしまうわけです。

オランダ人には小豆餡を美味しいと言って食べてくれる人もたくさんいますが、えっ豆を砂糖で甘くして食べる?冗談でしょう、と言って毛嫌いする人もいます。というわけで、普段はなるべく餡入りは避けるのですが、今回はパッケージのかわいらしさに引きずられました。なにしろ、パッチワークぽい和風の巾着袋に入っているのですから。

そのお店で、おやつにどうぞとどら焼きを二つおまけにもらいました。家に戻って美味しくいただいて、賞味期限が大きく今日明日の日付になっているのに気付き、そうか、売れ残って捨てるくらいならおまけで配ることにしたんだろうなと納得。

スーパーやコンビニ、ファーストフード店、棚の隅から隅までぎっしり並ぶふんだんな商品、生ものや生鮮食料品に限らず、およそ食に関わる商品には賞味期限が明記され、人々はそれを頼りに選別して行くわけですから、古くなったら当然誰も買いません。そう言う状況が起きる前にお店側が商品の入れ替えをやっています。

レストランで食べ残しはどうしているのでしょう。お店にわんさと食料品が並んでもそれをきれいにきちんと消費するなら、それはそれで物をふんだんに持つ意味もあるでしょう。外食すると、それも大勢の会食だったりすると、まずきれいに食べるなんて無理。食べきれないほどお皿があること、ただそのことに意味があると思えるほど、お皿に残ったまま。また、持ち帰りたいけれど、食中毒の恐れから持ち帰りは無理と断られることもしばしば。最近はドギーバッグと呼んで持ち帰ることをおしゃれにやろうということからカラフルな「ベネトンエコドギーバッグ」などもあって持ち帰り文化普及に一役買っているそうです。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/hit/20100215/1031021/

ドギーバッグ普及委員会という団体もあるとのこと。

そもそも食べきれないほどのお料理をテーブルに並べなければよいのに、と思います。
海外に駐在員の家族として暮らしていた頃、同じような駐在員家族同士で食事に呼んだり呼ばれたり。外国人を招待すると、彼らは一様にテーブルに並んだ料理の皿数の多さに驚きます。そして、これでもかこれでもか、とお腹いっぱいになってもまだ手料理が出てくることに驚きを隠せないという場面にたびたび遭遇しました。その表情から私が読み取ったメッセージは、日本料理ってなんて素晴らしい、という賞賛ではなく、度を越した無駄遣いに対する警鐘でした。




2013年1月13日日曜日

エスカレーターの乗り方のこと、優先席のこと

2013年も既に2週間が経とうとしています。
去年も一昨年もそろそろオランダへ向かう時期、気持ちはそそくさと落ち着かなかったことを思い出します。今年はその予定もなく、日本の正月を十分味わい、日本の3連休をのんびりと過ごしています。氏神様へ初詣、家族との時間をいつもよりたっぷり取り、普段会えない知人、友人と会食したり、映画三昧の週末を過ごしたり。



その映画鑑賞の帰り道、駅の上りエスカレーター2台が順番を待つ人たちで長い行列ができていました。よく見ると全員が左側に立つべく一列に並んでいます。右側が2台とも誰もならばないので、結局二人が横に並んで立てる幅を一人が占有している格好です。ルールがこれだけ徹底できることに驚くばかり。

左側は立ったまま乗る人、右側は駆け上がる人が乗るスペース(大阪ではこれが反対で、オランダと同じ)という風に分けるのはよいと思いますが、通勤時間で込み合っているから分けましょうというならともかく、急いで駆け上がりたい人がいたら、「すみません。」と声をかけて譲ればよいだけのこと。だいいち、左側だけに重さが加わったまま四六時中運転することで構造の歪みがでるのではないかと心配になります。

逆にルールをこれだけ守らない場所も他にはないのではないかと思うのは通勤電車の優先席での携帯電話・スマートフォン。「優先席付近では携帯電話の電源を切って下さい」という「お願い」の理由が正当かどうかは全く別にして、エスカレーターの乗り方よりもはっきりと注意書きあるいはアナウンスが流れているにもかかわらず、こうまで無視している人が多いのは不思議でなりません。エスカレーターはだれもルール破りをしないから、優先席での携帯電話はみんながルール破りをしているから、というのがその根拠なのでしょうか。