2018年5月27日日曜日

また一つ歳を重ねました!

最後の更新以降、いくつも投稿しようとしながら未完成のままのものがたくさん。
それらをすっ飛ばして、今日は私の誕生日の話を。

朝から曇り空で気温も上がらず、テレビでは、加計学園問題で柳瀬元首相秘書官の参考人質疑の模様を流し、私は柳瀬さんの言葉に誠意のかけらもない事務的答弁だと半ば呆れ、こうやって自分たちの立場を守ることに汲々として生きなければならない社会を目の当たりにして寂しい思い。人生、たった一度の人生をどう作り、どう終わらせるか、考えてしまう。

これから向かうのは、東中野のフレンチレストラン、La Petite Marche。ちょうど、普段離れて暮らす母が来ていたので、三人で私の誕生日祝いに、と夫が提案してくれた。前々から何度か足を運んでいて、既に私の1番のお気に入りレストラン。心を込めて芸術品的プレートを作るシェフ、話題豊富でその日の食事と私たちの好みを勘案してぴったり合うワインを薦めてくれるソムリエ。記念日の過ごし方としては最高!夫に感謝です。




2017年10月22日日曜日

この日がターニングポイントかもしれない

最後のポストから1年以上の月日が経ってしまった。
「怖い時代」がやってくることへの本能的な危機感は、ますます募る。

人々の、つつましくても人間らしく暮らしたいというちっぽけな願いを少しでも叶えられる国にしていこうとするのが政治の役割のはずなのに、沖縄の状況は政治が人々の暮らしを土足で踏みにじるばかり。

働き方改革だ、女性が輝ける社会だ、などと言葉は聞こえがいいけれど、実際はいくらでも働けるだけ働かそう、女性を低賃金労働者として使いまわそう、そういう魂胆が透けて見える。戦争をしない国、他国に範を垂れるべく平和を希求していく国であってほしいのに、今の安倍政権のイメージは、「国民を煽って今後自衛隊を海外に派遣し、敵をますます作っては戦争ごっこに勤しむ」政権だ。

枝野さんが立憲民主党を立ち上げてくれた。安倍政権に真っ向から立ち向かう志を持った人たちが集まって、あれよあれよと言う間に日本全国支持者が広がった。
枝野さんの立党の精神、ものすごく納得。
応援したいと思う。

あと数時間もすれば、今回の衆議院選挙の結果が判明する。
どんな結果が出ても、信念を持って、あきらめずに暮らしていきたい。

2016年7月30日土曜日

怖い時代

2016年7月31日の東京都知事選投票日を目前にして、私は脱力状態だ。
あちこちで花火大会だ盆踊り大会だ、と賑やかなのに。

2年半前の都知事選投票日前日は、降りしきる雪をモノともせず熱く熱く語る宇都宮さんの姿に感動し、なんとしても宇都宮さんに当選して欲しいと強く強く祈っていた。

先日の参院選での護憲派大敗北に愕然とし、そして今回の都知事選も鳥越俊太郎さん一本化という予期せぬ状況のもと、応援すべきは鳥越さんしかいない、鳥越さんを当選させなければそれこそ東京だけじゃなく、日本全体がますますおかしな方向へ進んでしまうとわかっていても、なぜだろうこの無力感は。

--- 参院選が終わって---
2016年7月10日、第24回参議院議員通常選挙、投票率54.7%。与党が強かった。そして、一番恐れている改憲勢力2/3の壁が破られてしまった。
あれほどの暴挙を続けて、あれほどでたらめを言い続けて、国民はみな愛想を尽かしている、だから絶対自民党や公明党は得票数激減だろうという予想は完璧に覆された。

この結果を見てもまだ、人々は危険を感じないのだろうか。この流れをどこかで止めなかったら人々の暮らしはめちゃくちゃになり、自由を奪われ、暗い世の中がやってくる。

今回の参院選では、党首討論は選挙期間中とうとう一度も行われなかった。それも、野党側からの公開討論の要請に対して、安倍首相は選挙をフルで戦っているからという理由で断ったという。改憲という言葉も選挙期間中は全く聞かれず、選挙後ににわかに改憲改憲と騒がれだした。争点隠しと言われる所以だと思う。有権者が正しい選択をできないように、肝心なことは黙って、アベノミクスだとか、雇用拡大だとか、響きのいい言葉だけを並べ、あとは野党に対する批判ばかり。こんな不誠実なやり方ってあるだろうか。

一番汚い!嫌だ!と思ったのは、沖縄の民意が誰の目にも「基地はいらない」なのに、選挙が終わった途端に高江を実力(暴力)で制圧にかかったことだ。

政治家って何をする人たちなのだろう。こんなに民意を踏みにじって、弱いものいじめばかりする現政権。「丁寧に説明する」と口では言いながら、実際はおざなりな説明で形だけ。ごまかし、騙し、ひた隠し、こんな人たちばかり見ていたら若い人たちがこの国の未来に希望を持てるわけがない。

2016年5月20日金曜日

未完の憲法 -語録

夫が面白いから読んでみたらと勧めてくれた本。

未完の憲法

奥平康弘
 X
木村草太

https://www.usio.co.jp/html/books/shosai.php?book_cd=3836

奥平氏:日本国憲法は、「今後国際連合軍が作られるであろう」ということを前提に作られたと思うんです。国連のPKO(平和維持活動)に従事する平和維持軍のことではなく、国連安保理の決議によって組織された正式の国連軍ね。国連憲章の第52条に規定があるけれど、そのような正規の国連軍は、いまに至るも一度も組織されたことがないわけです。だから国連軍が潤滑に機能することを前提として作られた自衛隊は、その前提を失ってしまったわけです。

これを読んで私は合点がいった。日本国憲法は決して理想だけを追い求めて憲法9条が あるわけではなく、世界の中で、世界平和を求めていく過程で日本の立場を明確に打ち出したものだということを。

奥平氏:中国はこれからますます大国化し、やがては経済規模でアメリカを追い抜くでしょう。でも、その中国が隣にあるからといって、日本までが変な対抗意識を持って大国を目指す必要はない。 ーー そもそも、僕は大国の方が偉くて小国がダメだとは思いません。小国であっても諸外国から尊敬を集める国というのは、十分にあり得るのです。日本はそのような、「世界に誇れる小国」目指すべきです。ーー 「日本はいい国だ」と世界の人からいってもらえるような、「一味違った日本」を目指すべきです。
木村:その「誇るべき小国」を目指す際の武器になるのが他ならぬ憲法9条であるということですね。

ただ、戦争放棄をうたっているだけじゃない。憲法9条の目指すものは、世界平和なのだ。これってすごい発想だと思う。戦争が決して真の解決策ではないこと、戦争をしない国として、世界の平和のために積極的にイニシアチブをとっていく。これこそ、日本の進むべき道だということを、改めて確信を持つことができた。  (2016年5月19日)

2016年5月18日水曜日

北杜市の太陽光パネル乱立

山梨県北杜市。北に八ヶ岳連峰、南西に甲斐駒ケ岳をはじめとする南アルプス、日本で一番日照時間が長いこの一帯は今まさにその日照を目当てに太陽光発電のためのソーラーパネルが雨後のタケノコとごとく猛烈に増えている。
http://hokutonetwork.jimdo.com/
太陽光発電施設マップをクリック!

北杜市だけで約4000件の申請。現在1000箇所がすでに出来上がっているとのこと。今後この3倍近い数が乱立する。この辺り一帯の美しい風景を象徴する森林を伐採してパネルを並べたら景観を損なうこと甚だしく、しかも50kw以下の    発電には高電圧設備が必要ない代わりに電信柱がずらっと並ぶ。また、パネルに反射する光がまぶしく、道路脇のパネルは車の運転にも差し障る。公式には気温は変わらないとされているが、実際には周囲は熱くなり、夏場の涼しさを求めて来る人々にはまったくありがたくない。住環境の良さに惹かれて移り住んできた人たちにとって、これでは何のために移住してきたのかわからない。

農家が畑をパネル並べて発電して売電する方が畑をやっていくより断然「儲かる」という構図も見えてきた。

景観計画の条例化が決まったと聞くが、ここまで進んでしまった乱開発がどのような成り行きになるのか、今後も注目していきたい。


2016年3月13日日曜日

福島の現実

放射線が目に見えたなら、あの日を境に放射線に覆われた世界が広がって 見えたはず。
放射線が目に見えたなら、除染と呼んで放射線たっぷりの土壌や落ち葉などを袋に詰めてちょっと離れた場所に集めて何年も置きっぱなし。放射性物質をほんのちょっと動かしただけ。裏山や鎮守の森は手付かずだってこともはっきりわかったはず。

放射線が目に見えたなら、それを前にして暮らしていくことは不可能に近かっただろう。
それでも、たまたま福島で原発事故が起きてしまったために、そこに暮らしていた人々は、否応なしにその現実と向き合わなければならない。しかも、事故の責任を誰も取らず、国や東電はあたかも放射線がいつのまにか消えてなくなり安全になったとデタラメを世間に広め、放射線が見えないことをいいことに、避難や移住の方策を次々と打ち切ってしまう。突然、或る日を境にそれまでの暮らしが、それまでの家族や村や社会の歴史が途切れ、なにもかもが分断されてしまう。これがどれほど悲しく、辛く、腹立たしいことか、今回福島原発ツアーに参加してひしひしと伝わってきたのだった。

2015年10月10日・11日の二日間、私は南相馬市と浪江町の希望の牧場を訪ねた。

福島の現実と題して、この二日間の見聞を書いておこうと思うのだが、なかなか書けない。
それは、福島の人々が置かれている現実に対して、ただ悲しいとか憤るとか言っていても何も変わらないからなのか。いろいろな情報が数限りなく流され、私が何か書く意味というのがあるのだろうか、そう考えてしまうからなのか。 



昨日3月11日で、あれから丸5年の歳月が流れた。
地震の被害、津波の被害、そして原発事故の被害。そうしていまだに17万にのぼる人々が日本各地で避難生活を余儀なくされている。東京で暮らしていると、普段は震災前とさほど変わらない、震災がまるでなかったかのような毎日。この落差はなんだろう。
 日本全体でもっと復興に力を注ぐべきではないのか。それなのに、この国は相変わらず巨額を投じて自然を壊してコンクリートの入れ物ばかりを作っている。リニア計画はその最たるものだと思う。まずは原発ゼロは当然のこととして、これを教訓として絶対踏み外していけないこととしてそこから再出発すべきなのに、日本という国はなぜ学ばないのだろう。      (2016年3月12日)

2015年9月30日水曜日

今度こそ、本当にこの国をこの人から取り戻さないと。。。

今年の1月に「この国をこの人から取り戻す- ヒューマンチェーン女の平和」と題して以下の内容で書いた。

このままだと私たちの暮らしや夫たち子供たちの命が危ない。女の直感というのだろうか、命を生み育む「性」はこの国の行く末に言い知れぬ危機感を持っているのだ。今日はそれを約7,000人の女性たちが赤い色を着て集まり、国会議事堂を囲んだ。

あれから8ヶ月、私たちの言い知れぬ不安は現実のものとなってしまった。

卑怯な手段で人々を騙して、しかも私たちがどんなにあがいても逃げられないように、あらゆる方向から様々な法律改定でじわりじわりと網を絞り込むようなやり方だ。
今回の戦争法案だけではない、数え上げたらきりがないほど人々の暮らしは悪くなっていると思う。今後、TPPが批准され、マイナンバーで自由を奪われたらおしまいだ。

今回の安全保障関連法案賛成派は、武器を輸出し、武器を使って自衛隊が海外で活動することに何の疑問も持たない。例えば、安倍首相の国連でのPKOに積極的に貢献できるようになったという演説を聞いて、それは素晴らしくいいことだと考えるだろう。駆け付け警護が可能となり、敵を「排除」できるという。「反撃」ではなく、「排除」だという。敵を攻撃して打ち破るのではなく、ただ排除するだけなので、それは自衛権なのだという。そうかもしれないが、戦争はどんな小さなことでも始まってしまったら、容易に収められない。敵は必ず復習しようとする。つまり、エンドレスなのだ。仮に物理的に戦いが終わったとしても、怨念は残る。日本人はあっさり忘れ去ることができるが、他国の人たちは、「決して忘れない」ことを良しとする。だから、絶対に戦争はやってはいけないのだ。何としても平和的手段で、話し合って紛争を解決しなくてはならないのだ。

仮に安倍首相の国連スピーチが多くの国から賛同を得たとしても、(大概は社交辞令なのかもしれないとも思う)、それは、彼らはそれしか知らないからだ。戦争をするのが前提だからだ。私たちが平和主義、非武装主義とか言っても、それは無理でしょう、おめでたい人たちだ、と思われるかもしれない。しかしそれは憲法9条の崇高な理念を持った国が過去になかったからというだけなのだ。やってみたことある国はないのだから、すぐには理解してもらえるわけがないのだ。それでも、私たちは何としても、戦わないことを世界に宣言し続けなければならないのだ。