2026年2月5日木曜日
【街宣LIVE】山本太郎 代表 #衆院選2026 #比例はれいわ 2月5日 東京都・池袋駅西口
2025年7月18日金曜日
参議院選に思うこと
昨年末に脱東京、山梨県民になりました。
南アルプス、北岳と甲斐駒ヶ岳が真っ白な雪に覆われ、朝日で輝く姿に圧倒されながら始まった新生活。
多少不便になっても、目に映るもの、耳に聞こえる音、風に乗って鼻腔をくすぐる花の香りや木々の囁き、東京では得られなかった心地よさは、もう手放せません。
選挙期間中の東京は、街宣車の大きな音、ゴミ箱直行の溢れかえる選挙チラシ類、美観を損ねるポスターの張りまくりなど、今が選挙期間中だということを忘れる暇はありませんでした。それが、ここでは何もないのです。人口密度76人/km2ですから、12,096人/km2(大田区)はその160倍!
チラシ1枚配る間に大田区なら160枚配れる計算になるわけですから。
そんな山梨県の選挙区は1人区、5人立候補していますが、一人しか当選できない。ま、私が投票したい人も一人しかいない。
問題は比例区。戦争をさせない平和外交・現憲法を守る・人権尊重などの点かられいわ新選組か共産党か社民党の候補の中から選ぶことになる。
存続の危機にある社民党(福島みずほ党首)に私の1票を託すことにしたい。
2024年12月5日木曜日
つれづれに
2016年4月15日、日付が変わって寝入りばな、リビングルームの方から妙な音がして目が覚めました。等間隔で建物が軋んでいる!リビングの窓でも開けっ放しにしたかな?とぼんやりしたまま、確かめに。地震だ!ダイニングのペンダントライトが揺れていないかチェック。ほとんど揺れていません。でも、実際熊本でその時M7.3の地震があったのです。そしてあの日の記憶が俄かに蘇ってきました。あの日、5年前の3月11日、日本を離れてかなり長いため、地震というものをほとんど忘れていた私は、何十年ぶりの恐怖感を味わいました。東北や今回の大きな地震に比べたら大したことないはずなのに、突然襲う足元をすくわれたような、自分の無力感を嫌という程思い知らされる感覚とでもいうのでしょうか。
自然は時として凶暴だなと思います。
でも、私たちはこれまでどれだけ自然を壊してきたのか、それを思うと自然が人類への「逆襲」を試みているのかと思えてなりません。
~~~~~
途中で放り出してそのままにしていた投稿記事、自然の脅威はいつどこで私たちの暮らしを襲うのかわからないなかで、漫然と暮らし続けてこの書きかけの時からさらに何年も経ってしまったこと、これからもこうやって漫然と生きていくのかなあ。。。
2023年4月28日金曜日
神宮外苑の森を守るということ
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/disaster/2936747/10521780 AFPBB News
2022年10月6日木曜日
病院通いの2022年
2022年の年が明ける1週間ほど前、私は突然のめまいと吐き気に襲われ、大したことないとあまり真剣に考えずに予定通り友人宅に行き、そこで嘔吐の連続。救急車で近くの病院まで運ばれるという、初めての緊急入院を経験した。
これが病院とのお付き合いの年2022年の始まりだった。
オランダから帰国後の10年超の間にほぼ風邪による通院で処方してもらう薬くらいしか記録されていない私のお薬手帳。そこに突発性難聴の診断とともに何種類もの治療薬が追加された。耳鳴り、ふらつき、そして聴覚過敏の症状は辛いけれど、治療は続けないことに決めた。私自身がほぼ諦めていたこともあるが、大学病院の担当医も治療法がないので、ストレスを減らし、気持ちの持ち方をコントロールして暮らすようにと。
そうこうするうちに、今度は夫が大学病院に緊急入院、心臓に近い冠動脈に二箇所詰まりが見つかりその場でカテーテル治療。あれよあれよという間に手慣れた医師たちや医療スタッフのおかげでオペ完了。しばらく続ける必要のある薬が何種類もあって、私はお薬係みたいに。
6月に入り、世の中は天下分け目(となるはずだった)参議院選挙に向けて騒々しくなり、私たちも今の日本が変わって欲しい一念で国会に送り込みたい候補を応援。この自粛自粛の社会で、選挙の為とはいえ、ボランティアセンターまで混んだ電車に乗り、大勢の人が集まる場所への出入り。あと3日で投票日という日の朝、何か調子が変だなと熱を測ったら微熱とはいえ、発熱した。やばい!
体温は徐々に上昇、喉も痛くなってきた。咳も。体の節々が痛い。
かかりつけ医でのPCR抗体検査で見事陽性判定。夫も私より症状は軽かったがやはり陽性。
それから10日間の自宅療養生活が始まった。
初めの五日間ほどはただ寝ているしかできない。水分補給だけしっかり気をつけて、あとは食べられるものを食べる。喉が猛烈に痛い。
普段から健康に気をつけて、手洗いうがいも欠かさなかったのだから、コロナウイルスにも立ち向かえる、ってなんとなく考えていたのにあっさりとやられてしまった。
夫婦揃って自宅療養だから、食料品は東京都の配給で助かった。新鮮野菜その他必要なものはアマゾンで凌ぐ。便利な時代になったとこの時ばかりは今の時代に感謝だった。
2022年の前半に引き続き、後半もどうやら医者通いになりそう。この続きはいずれまた。
2021年4月12日月曜日
46回目の結婚記念日
いつものように、夕食の準備、いつものようにテーブルの上を片付けて、でもいつもよりも気合を入れて片付けて。テーブルセッティングもいつもよりちょっとだけ気を使って。私はぼやーっとした薄暗さが好きなので、余計なライトは消して、飾りのろうそく置いて。
そんな風にして、 まず夫がシャンパンを開けてくれた。Moët & Chandon 美味しい。
今日は肉料理だから赤ワインだね。そう、昼間に寄ったスーパー田園で見つけたボルドー。シャトーベルコリーヌ2015。もう少しタンニンの効いたフルボディでもよかったかも、などと言いながら、私にはちょうど良い感じ。テレビでは松山英樹マスターズ優勝のニュースが流れ、挑戦し続けて10年めの偉業を称える素晴らしい映像に、ほろっとなって、しばし気分は過去へ過去へ。
昔、ボルドーのシャトーホテルに泊まったことがあった。アルジェ駐在時にフランス語を習っていたマダム・マレがフランスの話を聞かせてくれて、それならと南仏をレンタカーで廻った時のことだ。肉料理にボルドーのフルボディが如何に合うか、ホテルのレストランに行き、ソムリエの話を聞きながらなるほどと実感、まだ30代だった私たち。日本人旅行客などほとんどいなかった。粗相をしないよう、ちゃんとしてなくちゃ、と緊張していたことを思い出す。それからというものワインが大好きになり、ワインに合う食べ物が大好きになり、大切な人と一緒に食卓を囲む時間がこの上なく大切だとわかったのだった。毎日でなくてもいい、時々でいい、これこそ至福の時と呼ぶのだろうな。
2020年11月6日金曜日
疑ってみること (2020.7)
月一回のフェア民学校(奈須りえ大田区議会議員主催)に1年間出席して、最後に各参加者が自由に発表する時間をもらいました。毎回の時事に即したテーマはそれぞれ今後も勉強していきたいですが、講義を聞きながら一貫して思うことは、「世の中に起きていることはまず疑ってみよう、自分の頭で考えてみよう」という生きていく上での根本的な問いかけだったのではないかと思います。
当たり前のような、今更改めて掲げるまでもない命題のように見えますが、いちいち考えないベルトコンベアーに乗せられた現代人にとってこれは意外と面倒なことなのかもしれません。
哲学系ユーチューバーじゅんちゃんの哲学講義ドイツ系ユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントの「人間の条件」という本の紹介がありました。難しくてなかなか読み進められないのですが、人間の基本的な活動力に「労働」「仕事」「活動」の三つをあげています。
「労働labor」とは人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力で、生命維持に必要な活動で、近代社会においてほとんどの人々がこの労働に組み込まれてしまっています。
「仕事work」とは人間存在の非自然性に関係し、一人一人の人間はいつか死ぬが自然とは全く異なる世界、時間を超えて存続する境を作ろうとする活動力のことで、
仕事は、すべての自然環境と際立って異なるものの「人工的」世界を作りだす。(芸術家の仕事のようなもの?)
「活動action」とは、物あるいは事柄の介入なしに直接人と人との間で行われる唯一の活動力であり、多数性という人間の条件、すなわち、地球上に生きこの世界にすむのが一人の人間manではなく、多数の人間menであるという事実に対応している、として、一人一人がそれぞれ際立って「等しく異なる」存在であり、言論と行為をもって、他者と交わることで発揮されるとしています。これは「何であるかwhat-性別、人種、年齢など」ではなく、「誰であるかwho-人格的アイデンティティ」を示すことでもあります。つまり、ユニークネスというのは、この「言語活動」の分野に置いて発揮されると言えます。現代社会は、近代国家成立以降、労働に重きが置かれ、いかに効率よく生産性を上げられるかが重要と考えられるようになり、一人一人は顔のない「労働力」の一つになってしまいました。考えることをやめてしまったのです。
2013年に岩波ホールで映画「ハンナ・アーレント」が上映され、中高年を中心に連日の大盛況だったそうです。私は見る機会がなかったのですが、この映画の中で、ナチスの親衛隊将校で、数百万人ものユダヤ人を収容所へ移送したアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴したアーレントは、彼が残虐な殺人鬼ではなく、ヒトラーの命令どおりに動いただけの〝平凡な人間〟なのではないかと感じ、レポートし、世界中で批判に晒されました。のちのアーレントのスピーチは、まるで現在の日本の政治状況に対して発せられた言葉のようです。裁判でアイヒマンは『自発的に行ったことは何もない。善悪を問わず、自分の意志は介在しない。命令に従っただけなのだ』と反論したことを受けてアーレントは言います「アイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となった。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。〝思考の嵐〟がもたらすのは、善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬように」
この話を聞いて、私は「人間の条件」とアーレントが言いたいのは、まさに三つ目の「活動action」なのだと思いました。他者がいて、そこに言論を通じて他者と交わることで思考を深め、より良き社会を求め続けていくことをなおざりにしないようにということではないかと思います。今、日本の国の舵取りはあまりにお粗末で、なぜこんな馬鹿げたことが次から次へと決まるのか、組織に組み込まれた人々がまさにアイヒマンと同じように考えることをやめてしまったことの罪は大きいですし、組織の中では誰にでも起こりうることなのかもしれません。
そう考えると絶望的になりそうですが、新型コロナで人々の生活様式が変わったことで、良い方向に向くのではないかという希望を持ちました。コロナ鬱などの言葉が生まれ、友人と自由に会えない、不自由で耐えられないとか、早く元の生活に戻りたいという声がたくさん聞こえますが、もう少し視線を広げて社会を俯瞰してみると、ソーシャルディスタンスが言われ、他者との距離感を意識するようになったということは、その人の交友関係にある「他者」ではなく、一般的な「他者」がこれまでより認識され始めたと言えないでしょうか。あっという間に定着したスーパーのレジでの並び方は、以前と明らかに違います。ただ距離を置いて並んでいるという現象以上に対象を「他者」として認識しているという点でこれまでと違うと思えてなりません。出発点はあくまでも「私」であり、その「私」と同じ別の「私」が「他者」と認識されるというイメージです。こうした変化が「自分の頭で考える」こととどう繋がるのか、私自身の海外生活の中で気づいたことが根拠になっています。日本では、知り合いと見ず知らずとの間に歴然とした違いがあるように思います。海外での暮らしの中で私がほとんど疎外感を感じることなく、ごく普通に暮らせたのは、日本のような区別がないからではないかと思います。アーレントの「他者」という概念が今も生きているのです。従って、他者との関係性がそこに生まれ、「活動action」が可能になり、労働生産性では測れないユニークな言論が生まれます。日本にもこう言った動きが社会の中に根付いてくるのかもしれないと、ソーシャルディスタンス社会に期待するわけです。
赤旗7月19日号で寺島実郎さんは、「大国の横暴」の時代は終わりつつあり、これからは「全員参加型秩序」へ進む。全員参加型は丸テーブルで持論を主張し合うのに似ている。と言っています。ソーシャルディスタンスからは随分と飛躍しましたが、「丸テーブル」と「持論を主張」というところが重要だと思います。寺島さんが言うような全員参加型秩序への移行には、言論の力が最も大切なのだと思います。
ーーーーー参考になった記事をコピペーーーーー「週刊現代」2013年12月7日号
11月中旬のある平日。東京・神保町の岩波ホール前に、50人以上の長い列ができていた。時刻は午前10時半。映画のチケットを求める人々が、上映の1時間以上も前から並んでいるのだ。
「主人に面白いから観てきたら、と言われて今日は友達と3人で来たんです」
60代後半の女性はこう話す。平日の朝という時間帯も関係しているだろうが、周囲を見渡すと中高年の男女が9割以上を占めていた。
公開中の映画『ハンナ・アーレント』が、いま中高年を中心に大きな注目を集めている。ドイツ系ユダヤ人の哲学者、ハンナ・アーレントという女性を描いた事実に基づく物語だ。
東京で唯一、この作品を上映している岩波ホールの企画担当・原田健秀氏は、その盛況ぶりに驚いているという。
「初日の10月26日は台風が来ていたのですが、3回の上映すべてが満員になりました。すでに公開から4週間近くが経ちましたが、平日の昼間は満席が続いています。100人近くが入れないこともある。良い作品なので、公開前から手ごたえは感じていましたが、これほど反響が出るとは思いませんでした」
給会社のセテラ・インターナショナルによると、「東京・岩波ホールでの動員が非常に好調なので、全国のミニシアターからも引き合いが来ている」という。現在、東京の岩波ホールのほか、愛知・名古屋シネマテーク、大阪・梅田ガーデンシネマでも公開中。今後、全国各地で上映が予定されている(詳細は作品ホームページを参照)。
ミニシアター系の映画が、ここまで話題になるのはかなり稀なこと。
「ハンナ・アーレントは、20世紀を代表する哲学者の一人だと思いますが、彼女の代表作『全体主義の起原』は理解するのも大変な大著で、読んだことのある人は多くないでしょう。これほど盛況になる映画だとは考えてもみませんでした」
と東京大学大学院教授の藤原帰一氏も首をかしげる。いったい、何がそんなに人を惹きつけているのか。
まず、作品のストーリーを簡単に紹介しよう。
物語の舞台は、1960年代初頭。ナチスの親衛隊将校で、数百万人ものユダヤ人を収容所へ移送したアドルフ・アイヒマンが逮捕された。哲学者のハンナ・アーレントは、自ら希望して彼の裁判を傍聴し、ザ・ニューヨーカー誌にレポートを書くこととなる。実際に裁判でのアイヒマンの発言を聞くと、アーレントは、彼が残虐な殺人鬼ではなく、ヒトラーの命令どおりに動いただけの〝平凡な人間〟なのではないかと感じるようになる。レポートでは、その点を指摘。さらに、ユダヤ人指導者がナチスに協力していたという新たな事実も記したことで、発表後、世界中で大批判が巻き起こる—。
ナチスに対するユダヤ人の思いを、完全に理解するのは困難だろう。日本人にとってはシンパシーを感じにくいテーマかもしれない。映画評論家の秦早穂子氏は、それでも評判となっている理由をこう分析する。
「ハンナ・アーレントという女性の一生を取り上げなかったことが、成功の理由だと思います。波乱万丈な彼女の生涯を追うストーリーにもできたはず。ですが、あえてそれをしなかったことで、結果として『主張したいこと』がより鮮明になっていました」
秦氏が言うように、アーレントの人生は、波乱に富んだものだった。
1906年にドイツで生まれたアーレントは、社会民主主義者のユダヤ人家庭で育った。大学では哲学者のハイデガーに師事し、既婚者である彼と一時不倫関係に陥る。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に連行されるも、脱出。アメリカに亡命した。1951年には著作『全体主義の起原』を発表して話題となり、哲学者としての地位を確立していく。その後、プリンストン大学やハーバード大学の客員教授を務め、映画で描かれているアイヒマン裁判を経験。この騒動後も政治哲学の第一人者として活動を続け、69歳のときに心臓麻痺によりその生涯を閉じた。2度の結婚を経験し、恋多き女としての一面も持ちあわせる。
伝えたいことがよく分かる
このような、女性としての波乱万丈な生き様を描くことも十分にできたはずだ。しかし、本作品ではその点にはほとんど触れず、アイヒマン裁判の騒動に焦点を当てることで「主張したいこと」を伝えている。これこそが、多くの観客の心を魅了している理由だろう。
それが最も強く表れているのが、作品の最後、アーレントの「8分間のスピーチ」だ。前出・岩波ホールの原田氏は、「この場面に強く感銘を受けて上映を決めた」と語る。
裁判の傍聴記を発表したのち、「アイヒマン擁護だ」とさまざまな誹謗中傷を受けたアーレント。勤務していた大学からは辞職してほしいと告げられる。だが、「絶対に辞めません」と拒否した彼女は、学生たちへの講義という形で、初めての反論を試みる。これが8分間のスピーチだ。
学生や大学の教授が見つめる中、教壇に立ち、煙草を吸いながら、彼女はこう訴えかける。
「(アイヒマンを)罰するという選択肢も、許す選択肢もない。彼は検察に反論しました。『自発的に行ったことは何もない。善悪を問わず、自分の意志は介在しない。命令に従っただけなのだ』と。世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪なのです。そんな人には動機もなく、信念も邪推も悪魔的な意図もない。(彼のような犯罪者は)人間であることを拒絶した者なのです」
さらに、自分はアイヒマンを擁護したのではなく理解を試みたのだと主張したうえで、このようにも語る。
「アイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となった。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。〝思考の嵐〟がもたらすのは、善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬように」
「出来ません」と言えますか
アイヒマンは裁判で、ユダヤ人をガス室に送ったのは自分の意志ではなく、上層部からの命令だったと主張した。その姿はアーレントの眼に、組織の調和を乱さないことを重んじ、言われたとおりにしか動かない小役人のように映ったのだ。
思考停止が悪を生む。考えることで人間は強くなる。映画を通じて「主張したいこと」は、この真理だった。
「アーレントの言葉に恐怖感を抱きました。私の胸に、ぐさりと刺さりましたね」
映画評論家の佐藤忠男氏はこう話す。
「ユダヤ人としては、アイヒマンらを真っ向から非難し、断罪することが当時の常識でしたが、彼女はそれをしなかった。善悪を考える力もない連中の犯罪だった、と主張したわけです。それは、単純な正義を振りかざす者に『お前は程度が低いよ』と言ったようなもの。これまで人間が依って立っていたプライドの根幹を揺るがすような彼女の姿を描いたことが、非常に秀逸でした」
佐藤氏が言うように、アーレントの言葉をわが身に向けられたものとして受け止め、感銘を受けている人は多い。「この映画の人気の秘密は、アイヒマンはどこにでもいるからではないか」と語るのは、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏だ。
「自分の考えとは違うけど、組織の中では『できません』と言えないことがたくさんある。組織の論理に従っているのです。この時代に限った話ではない。日本の戦争だってそうやって行われていますし、いま国会を通ろうとしている秘密保護法案だってそうでしょう。安倍政権の論理からすれば、これを通すのがいいとされる。あなたはアイヒマンではないですか、とこの映画は問いかけているのです」
たとえば、東日本大震災で露になった原発の問題もそうではなかったか。環境のため、安定した電力供給のため、コスト削減のため、と信じて推進してきた原発の恐ろしさを震災が起こってはじめて考えるようになった。かと思えば、事故から3年近くが過ぎたいま、経済問題を理由に再稼働や原発の海外輸出に舵を切る動きが出ているのは、アーレントの言う「思考停止」に他ならない。
「東電の人たちも、マニュアルに沿ってやってきたところで、あの事故があった。アイヒマンに重なるというのは言い過ぎかもしれませんが、いいと思ってやってきたことが想定外の事故につながるというのは、誰の身にも起こり得ることでしょう。震災以降の『一致団結』という流れに、嘘くささを感じているからこそ、この作品に共感するのだと思うのです」
こう話す作家の小野正嗣氏は、考えないことが普通になった現代の状況についても、こんな指摘をする。
「私は大学で講義もしているのでとくに強く感じるのですが、いまはわからないことがあったらすぐにパソコンやスマホで調べられる。わからないことを蓄えておく時間がないのです。選択肢の与えられた質問には答えられても、なぜそう思うのか、自分の意見を言うことができなくなっている。どんな疑問も瞬時に解決できる社会に生きていると、思考が止まってしまうんです。この、『考えなくてもいい社会』に、危機感を持っている人が多いということではないでしょうか」
指示された通りにやるのが最善だと考える、マニュアルに書いてある以外のことには対応できない、ネット上の情報に影響を受ける……自分の身を省みたとき、善悪を考える力が備わっていると、自信が持てる人は多くはないだろう。
彼女の言葉に、いま一度、我を振り返ってみてはいかがだろうか。
「週刊現代」2013年12月7日号より
2019年11月28日木曜日
小さな幸せ
2018年5月27日日曜日
また一つ歳を重ねました!
それらをすっ飛ばして、今日は私の誕生日の話を。
朝から曇り空で気温も上がらず、テレビでは、加計学園問題で柳瀬元首相秘書官の参考人質疑の模様を流し、私は柳瀬さんの言葉に誠意のかけらもない事務的答弁だと半ば呆れ、こうやって自分たちの立場を守ることに汲々として生きなければならない社会を目の当たりにして寂しい思い。人生、たった一度の人生をどう作り、どう終わらせるか、考えてしまう。
これから向かうのは、東中野のフレンチレストラン、La Petite Marche。ちょうど、普段離れて暮らす母が来ていたので、三人で私の誕生日祝いに、と夫が提案してくれた。前々から何度か足を運んでいて、既に私の1番のお気に入りレストラン。心を込めて芸術品的プレートを作るシェフ、話題豊富でその日の食事と私たちの好みを勘案してぴったり合うワインを薦めてくれるソムリエ。記念日の過ごし方としては最高!夫に感謝です。
2017年10月22日日曜日
この日がターニングポイントかもしれない
「怖い時代」がやってくることへの本能的な危機感は、ますます募る。
人々の、つつましくても人間らしく暮らしたいというちっぽけな願いを少しでも叶えられる国にしていこうとするのが政治の役割のはずなのに、沖縄の状況は政治が人々の暮らしを土足で踏みにじるばかり。
働き方改革だ、女性が輝ける社会だ、などと言葉は聞こえがいいけれど、実際はいくらでも働けるだけ働かそう、女性を低賃金労働者として使いまわそう、そういう魂胆が透けて見える。戦争をしない国、他国に範を垂れるべく平和を希求していく国であってほしいのに、今の安倍政権のイメージは、「国民を煽って今後自衛隊を海外に派遣し、敵をますます作っては戦争ごっこに勤しむ」政権だ。
枝野さんが立憲民主党を立ち上げてくれた。安倍政権に真っ向から立ち向かう志を持った人たちが集まって、あれよあれよと言う間に日本全国支持者が広がった。
枝野さんの立党の精神、ものすごく納得。
応援したいと思う。
あと数時間もすれば、今回の衆議院選挙の結果が判明する。
どんな結果が出ても、信念を持って、あきらめずに暮らしていきたい。
2016年7月30日土曜日
怖い時代
あちこちで花火大会だ盆踊り大会だ、と賑やかなのに。
2年半前の都知事選投票日前日は、降りしきる雪をモノともせず熱く熱く語る宇都宮さんの姿に感動し、なんとしても宇都宮さんに当選して欲しいと強く強く祈っていた。
先日の参院選での護憲派大敗北に愕然とし、そして今回の都知事選も鳥越俊太郎さん一本化という予期せぬ状況のもと、応援すべきは鳥越さんしかいない、鳥越さんを当選させなければそれこそ東京だけじゃなく、日本全体がますますおかしな方向へ進んでしまうとわかっていても、なぜだろうこの無力感は。
--- 参院選が終わって---
2016年7月10日、第24回参議院議員通常選挙、投票率54.7%。与党が強かった。そして、一番恐れている改憲勢力2/3の壁が破られてしまった。
あれほどの暴挙を続けて、あれほどでたらめを言い続けて、国民はみな愛想を尽かしている、だから絶対自民党や公明党は得票数激減だろうという予想は完璧に覆された。
この結果を見てもまだ、人々は危険を感じないのだろうか。この流れをどこかで止めなかったら人々の暮らしはめちゃくちゃになり、自由を奪われ、暗い世の中がやってくる。
今回の参院選では、党首討論は選挙期間中とうとう一度も行われなかった。それも、野党側からの公開討論の要請に対して、安倍首相は選挙をフルで戦っているからという理由で断ったという。改憲という言葉も選挙期間中は全く聞かれず、選挙後ににわかに改憲改憲と騒がれだした。争点隠しと言われる所以だと思う。有権者が正しい選択をできないように、肝心なことは黙って、アベノミクスだとか、雇用拡大だとか、響きのいい言葉だけを並べ、あとは野党に対する批判ばかり。こんな不誠実なやり方ってあるだろうか。
一番汚い!嫌だ!と思ったのは、沖縄の民意が誰の目にも「基地はいらない」なのに、選挙が終わった途端に高江を実力(暴力)で制圧にかかったことだ。
政治家って何をする人たちなのだろう。こんなに民意を踏みにじって、弱いものいじめばかりする現政権。「丁寧に説明する」と口では言いながら、実際はおざなりな説明で形だけ。ごまかし、騙し、ひた隠し、こんな人たちばかり見ていたら若い人たちがこの国の未来に希望を持てるわけがない。
2016年5月20日金曜日
未完の憲法 -語録
未完の憲法
奥平康弘X
木村草太
https://www.usio.co.jp/html/books/shosai.php?book_cd=3836
奥平氏:日本国憲法は、「今後国際連合軍が作られるであろう」ということを前提に作られたと思うんです。国連のPKO(平和維持活動)に従事する平和維持軍のことではなく、国連安保理の決議によって組織された正式の国連軍ね。国連憲章の第52条に規定があるけれど、そのような正規の国連軍は、いまに至るも一度も組織されたことがないわけです。だから国連軍が潤滑に機能することを前提として作られた自衛隊は、その前提を失ってしまったわけです。
これを読んで私は合点がいった。日本国憲法は決して理想だけを追い求めて憲法9条が あるわけではなく、世界の中で、世界平和を求めていく過程で日本の立場を明確に打ち出したものだということを。
奥平氏:中国はこれからますます大国化し、やがては経済規模でアメリカを追い抜くでしょう。でも、その中国が隣にあるからといって、日本までが変な対抗意識を持って大国を目指す必要はない。 ーー そもそも、僕は大国の方が偉くて小国がダメだとは思いません。小国であっても諸外国から尊敬を集める国というのは、十分にあり得るのです。日本はそのような、「世界に誇れる小国」目指すべきです。ーー 「日本はいい国だ」と世界の人からいってもらえるような、「一味違った日本」を目指すべきです。
木村:その「誇るべき小国」を目指す際の武器になるのが他ならぬ憲法9条であるということですね。
ただ、戦争放棄をうたっているだけじゃない。憲法9条の目指すものは、世界平和なのだ。これってすごい発想だと思う。戦争が決して真の解決策ではないこと、戦争をしない国として、世界の平和のために積極的にイニシアチブをとっていく。これこそ、日本の進むべき道だということを、改めて確信を持つことができた。 (2016年5月19日)
2016年5月18日水曜日
北杜市の太陽光パネル乱立
http://hokutonetwork.jimdo.com/
太陽光発電施設マップをクリック!
北杜市だけで約4000件の申請。現在1000箇所がすでに出来上がっているとのこと。今後この3倍近い数が乱立する。この辺り一帯の美しい風景を象徴する森林を伐採してパネルを並べたら景観を損なうこと甚だしく、しかも50kw以下の 発電には高電圧設備が必要ない代わりに電信柱がずらっと並ぶ。また、パネルに反射する光がまぶしく、道路脇のパネルは車の運転にも差し障る。公式には気温は変わらないとされているが、実際には周囲は熱くなり、夏場の涼しさを求めて来る人々にはまったくありがたくない。住環境の良さに惹かれて移り住んできた人たちにとって、これでは何のために移住してきたのかわからない。
農家が畑をパネル並べて発電して売電する方が畑をやっていくより断然「儲かる」という構図も見えてきた。
景観計画の条例化が決まったと聞くが、ここまで進んでしまった乱開発がどのような成り行きになるのか、今後も注目していきたい。

2016年3月13日日曜日
福島の現実
放射線が目に見えたなら、除染と呼んで放射線たっぷりの土壌や落ち葉などを袋に詰めてちょっと離れた場所に集めて何年も置きっぱなし。放射性物質をほんのちょっと動かしただけ。裏山や鎮守の森は手付かずだってこともはっきりわかったはず。
放射線が目に見えたなら、それを前にして暮らしていくことは不可能に近かっただろう。
それでも、たまたま福島で原発事故が起きてしまったために、そこに暮らしていた人々は、否応なしにその現実と向き合わなければならない。しかも、事故の責任を誰も取らず、国や東電はあたかも放射線がいつのまにか消えてなくなり安全になったとデタラメを世間に広め、放射線が見えないことをいいことに、避難や移住の方策を次々と打ち切ってしまう。突然、或る日を境にそれまでの暮らしが、それまでの家族や村や社会の歴史が途切れ、なにもかもが分断されてしまう。これがどれほど悲しく、辛く、腹立たしいことか、今回福島原発ツアーに参加してひしひしと伝わってきたのだった。
2015年10月10日・11日の二日間、私は南相馬市と浪江町の希望の牧場を訪ねた。
福島の現実と題して、この二日間の見聞を書いておこうと思うのだが、なかなか書けない。
それは、福島の人々が置かれている現実に対して、ただ悲しいとか憤るとか言っていても何も変わらないからなのか。いろいろな情報が数限りなく流され、私が何か書く意味というのがあるのだろうか、そう考えてしまうからなのか。
昨日3月11日で、あれから丸5年の歳月が流れた。
地震の被害、津波の被害、そして原発事故の被害。そうしていまだに17万にのぼる人々が日本各地で避難生活を余儀なくされている。東京で暮らしていると、普段は震災前とさほど変わらない、震災がまるでなかったかのような毎日。この落差はなんだろう。
日本全体でもっと復興に力を注ぐべきではないのか。それなのに、この国は相変わらず巨額を投じて自然を壊してコンクリートの入れ物ばかりを作っている。リニア計画はその最たるものだと思う。まずは原発ゼロは当然のこととして、これを教訓として絶対踏み外していけないこととしてそこから再出発すべきなのに、日本という国はなぜ学ばないのだろう。 (2016年3月12日)
2015年9月30日水曜日
今度こそ、本当にこの国をこの人から取り戻さないと。。。
このままだと私たちの暮らしや夫たち子供たちの命が危ない。女の直感というのだろうか、命を生み育む「性」はこの国の行く末に言い知れぬ危機感を持っているのだ。今日はそれを約7,000人の女性たちが赤い色を着て集まり、国会議事堂を囲んだ。
あれから8ヶ月、私たちの言い知れぬ不安は現実のものとなってしまった。
卑怯な手段で人々を騙して、しかも私たちがどんなにあがいても逃げられないように、あらゆる方向から様々な法律改定でじわりじわりと網を絞り込むようなやり方だ。
今回の戦争法案だけではない、数え上げたらきりがないほど人々の暮らしは悪くなっていると思う。今後、TPPが批准され、マイナンバーで自由を奪われたらおしまいだ。
今回の安全保障関連法案賛成派は、武器を輸出し、武器を使って自衛隊が海外で活動することに何の疑問も持たない。例えば、安倍首相の国連でのPKOに積極的に貢献できるようになったという演説を聞いて、それは素晴らしくいいことだと考えるだろう。駆け付け警護が可能となり、敵を「排除」できるという。「反撃」ではなく、「排除」だという。敵を攻撃して打ち破るのではなく、ただ排除するだけなので、それは自衛権なのだという。そうかもしれないが、戦争はどんな小さなことでも始まってしまったら、容易に収められない。敵は必ず復習しようとする。つまり、エンドレスなのだ。仮に物理的に戦いが終わったとしても、怨念は残る。日本人はあっさり忘れ去ることができるが、他国の人たちは、「決して忘れない」ことを良しとする。だから、絶対に戦争はやってはいけないのだ。何としても平和的手段で、話し合って紛争を解決しなくてはならないのだ。
仮に安倍首相の国連スピーチが多くの国から賛同を得たとしても、(大概は社交辞令なのかもしれないとも思う)、それは、彼らはそれしか知らないからだ。戦争をするのが前提だからだ。私たちが平和主義、非武装主義とか言っても、それは無理でしょう、おめでたい人たちだ、と思われるかもしれない。しかしそれは憲法9条の崇高な理念を持った国が過去になかったからというだけなのだ。やってみたことある国はないのだから、すぐには理解してもらえるわけがないのだ。それでも、私たちは何としても、戦わないことを世界に宣言し続けなければならないのだ。
2015年7月26日日曜日
平和について語ろう
7月16日、問題の安全保障関連法案が衆議院で可決された。
戦後70年。今この日本で起きている諸々の出来事はこの70年の日本人の歩みの結果なのだと考えると、これまでいったい私たちは民主主義とか、平和とか、国のあり方とかどれほど真剣に考えてきたのだろうか。民主主義は当たり前のこととしてそこにあるわけではなく、人々の不断の話し合いや努力があってこそ、その考え方が血となり肉となって堅固なものになっていく。平和だってそうだ。平和への絶え間ない希求。それが絵に描いた餅に終わらないための日々の実践があってこそ真の平和に一歩ずつ近づける。
それを考えると、これまでの70年間、私たちはあまりにも安穏と、与えられたものを「ありがたく」拝してきたのではないだろうか。その結果が今日の状況なのではないだろうか。
今日2015年7月26日、戦争法案反対オール大田の蒲田駅駅頭宣伝で「アベ政権を許さない」プラカードを持って道行く人にチラシを配った。チラシは安保法制反対の国会大包囲を呼びかける内容だった。受け取ってくれる人は少ない。10人のうちせいぜい一人か二人。
世論調査で内閣不支持率が5割を超えたと言われている割には私たちの活動に関心を持ってくれる人が少ないなあという感想を持つ。隣で戦争反対のプラカードを持って立ち続ける「9条の会」の弁護士さんと言葉を交わした。少しずつ人々の関心は高くなっていると話していた。何事も一朝一夕には成し得ないことを考えれば、少しずつでも前進し続けることが大切だと思う。とはいえ、現状を思うとそれでは間に合わないのではないかと背筋が寒くなる。
国会包囲行動では、毎日のように老若男女何万という数の人々が集まり、日本全国津々浦々で人々が起ち上がっている。 今こそ、人々が繋がって、この動きを大きな大きな流れにして行くべき時なのだと思う。
2015年4月28日火曜日
奈須りえさん、当選おめでとう!
遅まきながらのほんのわずかのお手伝いの間に、奈須さんの熱意はひしひしと伝わり、彼女を支えるために集まっているボランティアの皆さんとの連帯感は、同じ目標を持つ者同士の心の通い合いを感じました。
都知事選前夜の宇都宮さんの演説に心震わせた私ですが、今回も奈須さんの控えめな口調のうちに秘めた熱い思いがじわじわと迫ってきました。
もう、日本に希望はないのか。毎日の暮らしの一コマ一コマ、あらゆる場面で感じるこの無力感に、そんなことはない、前を向いて歩を進めなさい!と言ってくれているような気がします。フェアな民主主義に向かって。
2015年4月24日金曜日
奈須りえさんを応援します
2015年4月8日水曜日
お知らせ - はこいりむすめQ -
はこいりむすめQ
友人に話したら、「箱入り娘」?? なんだかこの年で声に出すのが気恥ずかしいなあって言われてしまいました。確かに、この名前の意味とは程遠い私ですけれど、玉手箱みたいに、箱を開けたら美しい蝶が飛び立つさまは、ずっと大切にしたい心のありよう、世界中の人々の心に共通するやさしい思いを象徴したデザインを、と考えて作りました。
オランダと日本を往復している間に、見えてくる彼我の違い、風土や気候、住む人間が違うのだから、ありとあらゆる点で違って当たり前かもしれませんが、それらの違いを超えて、心が通い合う出会いは何ものにも代えがたい貴重な体験として、大切にしたい私の宝物です。
このレースの縁取りの四角い箱に入っているのは、そういった大切なものなんです。
まだほんの数えるほどのものしか入っていませんが、箱はいつでも蓋をしないで開けてあります。
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2015年1月18日日曜日
この国をこの人から取り戻す - ヒューマンチェーン「女の平和」
1月17日、地下鉄国会議事堂前駅で降りると続々と女性たちが集まっていた。みな赤色を身につけている。私は赤いマフラー。
集団的自衛権反対、憲法改正反対、戦争反対、安倍政権に対するレッドカードだ。
このままだと私たちの暮らしや夫たち子供たちの命が危ない。女の直感というのだろうか、命を生み育む「性」はこの国の行く末に言い知れぬ危機感を持っているのだ。今日はそれを約7,000人の女性たちが赤い色を着て集まり、国会議事堂を囲んだ。
国会議事堂は周囲2キロ、そこに赤いコートや帽子、マフラーなど赤色をまとった女性たちが手をつないで。周囲途切れることなく二重三重になってコーラーの掛け声に合わせてコールを繰り返した。
Fukushimaは4年近くたつのに何も解決していない、それなのに原発再稼働へ向かおうとしている。沖縄辺野古では住民の総意を無視する政府に24時間座り込みで抗議が続く。
なによりも、戦争のできる国にしようとする安倍政権には絶対NO。




