2012年4月2日月曜日

土の香り

ブラバントに暮らすようになって、春のこの時期をここで迎えるのは初めてです。寒く暗い冬の後の春の訪れはことのほか輝いて見えます。

すでに夏時間、時計の針を一時間先に進めただけなのに、夕方6時を回ってもまだ太陽は煌煌と西の空30度くらいの高さにとどまっています。周辺は馬や牛を飼うための牧草地になっているところがほとんどです。視界に入る動きと言えば、犬を連れて散歩する人、家族で自転車に乗って遠出する人の行き来する姿が遠くの方に見えるだけ。

庭の片隅には放し飼いのニワトリや黒ヤギ。過去・現在・未来、ずっとこうやっているんだろうな。。。

何をするでもなく、ただ粛々と全てが確実に時を刻んでいる。
こんな当たり前のことを、改めて実感した春の一日でした。







2012年3月17日土曜日

また引っ越しました

デジレーのB&Bでの暮らしにそろそろ飽きてきたなあ、電子レンジ料理だけでは、味気ない、もう少し食事の楽しみを支度の段階から味わいたいな、そんな思いが募り、思い切ってホリデーハウスを探してみることにしました。昨年二ヶ月ほどお世話になったマリーンのホリデーハウスのような居心地のよい家を、しかも予算内で探すことにしました。貸別荘のサイトとかキャンプ場のサイトなどあれこれ探して、やっと見つけました。Farmer's camping site、という表示に半信半疑でしたが、これが立派な「家」なのです。リビングダイニングキッチンは20畳ほど、ベッドルームは一階に二部屋、二階に一部屋、合計6名泊まれます。酪農家だったオーナーが牛の飼育をやめた後、キャンピングサイトの運営とホリデーハウスとしてのこの家を管理。住むのに必要な設備や什器は全て備え付けなので、ホテル住まいよりもずっと快適です。しかも一泊あたり50ユーロ。長期滞在の家探しをするよりもこちらの方が結果的に安上がりになりそうです。

リビングルームの窓を開け放すとそのまま開放的な庭に出られます。夏場だったら毎日のようにバーベキューだろうな。周辺は本当に何もない、牧場だか畑だか、はたまた単なる空き地なのか、視界を遮るものは何もないような場所、動くものといえば、のんびり草を食む羊や馬、休暇でぼーっとしたい人には本当にぴったりの場所です。


いつも思うことですが、人口密度でいえばオランダは世界第3位、日本の第4位の上を行く国という位置づけになっているけれど、この広さは何だろう。アムステルダムなどの都会(と呼べる規模でもないような気がしますが)でも一歩町を出ると空間の広がり、空の広がりは開放的。国土全体が平らでまんべんなく人が住める土地のオランダ、人が住むには厳しい山岳地帯を国土の大半が占めているため、実際の人口集中とかけ離れた数字になってしまう日本と、比較する方が間違っているのかもしれません。

2012年2月13日月曜日

白鳥宮

週末、運動不足解消に少し歩きたいね、と夫と二人で出かけました。氷点下の空気は凍てつく寒さで、さて一体どこへ行こうか迷ったあげく、ドイツの小さな町Kleve(クレーフ)へ行ってみることにしました。ドイツ国境までは東へ車で15分、さらに15分ほど畑と林の間の道を走るとそこはもうKleveの町。

ライン川の支流に沿って広がるのどかな町並み、小高い丘の上の白鳥宮と呼ばれる古城を目指しました。外気温氷点下5度前後、10分も歩いているとかなり寒さが堪えます。白鳥宮Die Schwanenburg と呼ばれる所以は、ヨーロッパでかなり広く言い伝えられている「白鳥の騎士」伝説だそうで、ワグナーのローエングリン筋書きにインスピレーションを与えたストーリーだというのですが、この街との関係はよくわかりませんでした。
現在も市役所として使われている建物の中庭を抜けて、高さ180フィートの白鳥の塔に上りました。中庭の噴水にも白鳥がモチーフに。

塔の内部は最上階の展望スペースの他にこの辺り一帯の地質学上の貴重な資料が展示されています。まず、このマンモスの頭蓋骨の展示にびっくり、その巨大さに二度びっくり。

上腕骨だそうですが、私の指と比べて下さい。

近郊のBorth(ボルト)にはヨーロッパ最大、
(もしかしたら世界最大)の岩塩の採掘場があり、地下550メートルで採掘された岩塩の大きな固まりが、その地層の違いで赤土のような色からクリスタルのような塩まで展示されています。写真では大きさが分りづらいですが、手前のうすピンクの固まりは15センチ四方ありました。
さらに展示は続きます。Kleveの統治者を12世紀に遡って年代を追って解説したパネルが並び、その中にオレンジ公ウイリアム(ウイレム)を発見。後のイングランド王になった若きウイレムが叔父の統治するこの館に滞在していたという、ただそれだけですが、オランダの歴史をひもとくと必ずキーパーソンとして登場する人物、当たり前のことですが、昔は国境というものが今とは全然違ったんだなと不思議に納得したのでした。


そして、Kleveの最大の見どころ?がこれ。白鳥のベンチが町のあちらこちらに置かれています。これは何とオレンジ色ですが、普通の白ももちろん。

こんなおしゃれな白鳥や、

黒鳥も。
寒いなか、何とも楽しい町歩きになりました。









2012年2月12日日曜日

マイナス19度

10日ほど前からヨーロッパ中が寒波に見舞われています。ここシント・アントニスでも一時マイナス19度を記録、その後もマイナス10度台をうろうろする日々。室内の窓ガラスが朝起きるとガリガリに凍り付いているのには、さすがに驚きました。運河が国中に張り巡らされているオランダでは、冬になると誰もが話題にするテーマがあります。

「Elfstedentocht、eleven cities tour, フリースランドの11の町をつなぐ全長200キロに及ぶスピードスケートの祭典が今年こそ開催できるのだろうか?」

コース全域の氷の厚さが全て15センチ以上であることが条件とあって(何しろ参加者16,000人の荷重を支えられるだけの厚さが求められる)、前回の開催は1997年、今年はこの寒波で15年ぶりの開催への期待が大きく膨らみ、オランダ中がこの話題で持ち切りでした。「開催が決まったらオランダ中がひっくり返るほどの大騒ぎになるんだよ。」と、興奮しながら語る友人、知人たち。

結局、開催は無理という主催者の最終判断で、それまでの日夜を分たず行われた人海戦術で
のコンディション整備に終止符が打たれました。

その日から、オランダ人は誰一人としてこの話題を口にしません。語り出したらああだこうだとそれぞれが持論を繰り広げるだけの不満や意見があるのでしょうが、それを決して語りません。「あの騒ぎは夢だったのだろうか」という様変わり。

それで思い出したのが、2年半前のワールドカップ決勝戦です。オランダが前評判通り勝ち進んで行き、それに比例してオランダ人のサッカーフリーク度は加熱して行った訳ですが、決勝戦でスペインに負けたその翌日の様変わり。あの時も「あれは夢だったのだろうか」と感じたのでした。

この二つの事例だけで、オランダ人気質を論じるのは甚だ乱暴かもしれませんが、私はかれらが「機を見るに敏」なのだと思います。というか、覆水盆に返らず、なら一切振り返らない、そういうことに時間と労力を使わないと皆が暗黙のうちに認識し合っていると言ったら良いでしょうか。同じような場面を仕事仲間との間でもたびたび経験します。何かを生み出すための議論はよいが、何も生み出さない議論の為にお互いの貴重な時間は使わない。まさに功利主義的オランダ人の真骨頂なのかなと思うこのごろです。
凍り付いた運河を船が通るたびに氷が砕かれて、水面全体がオンザロック用の氷状態

帰宅途中、降りしきる雪で沿道の家が全部粉砂糖をまぶしたお菓子の家になりました

氷点下19度まで下がった日の朝、窓ガラスの内側がこの状態でした



2012年1月23日月曜日

Bagumamaの2011年はこんな一年でした -part2-



8月:夫は7月下旬に一足先に日本に帰国。私は一人でその後も滞在し、8月10日にやっと日本へ戻りました。涼しいオランダから一気に真夏の日本へ。電力消費制限が広く行き渡り、日本中が節電に心を砕いているその渦中でしたので、電車の中を初め、いつもは煌煌とまばゆいばかりに明るい東京の街が随分と暗く感じました。もっともヨーロッパで暗い暮らしになじんでしまった私はその暗さがちょうどよかったのですけれど。

9月・10月・11月:住み慣れたDesireeのB&Bを出て、キッチン設備完備、バスタブ付き、洗濯機・乾燥機付きのホリデーハウスに移りました。友人の紹介でやっと出会えた完璧な住いでした。2ヶ月ほどお世話になって、また元のDesireeのB&Bに戻ることになりましたが、これも運命的な感じが。何しろ、2週間の予定で私だけ一時帰国するその日に夫は体調を壊し、帯状疱疹を患うことになり、元看護婦のDesireeとご主人のお世話になってしまったわけですから。
9月にはチーままがはるばる訪ねてきてくれました。オランダで食事はあまり期待できないのですが、地元のBloemenhofでのディナーとゴッホゆかりの町ニューネンのLindehofでのランチ、2カ所も美味しくて美して豊かな気分を味わうことができました。これもチーままのおかげです、ありがとう。



Marleenのホリデーハウス、リビングの窓に広がるには広大な畑、畑、畑

B&Bから歩いて15分の距離にあるBloemenhofレストラン。
インターネットに掲載なし、全て口コミだけというのにいつも満席の秘密は、
リーズナブルなお値段で最高にくつろげるから。Desireeの次女Milouがここでアルバイト
Lindehof。シェフはスリナムの人で、日本の食材も上手に使って新しい味を創造
見た目も至ってクリエイティブ


10月には9年ぶりだったアルセンの町へのドライブとN子さんを訪ねたパリ行きがとても印象的でした。アルセンの町はドイツとの国境に近いせいか、耳にする言葉はオランダ語でも町の雰囲気や人々の物腰はドイツ的。9年前にも訪ねたアルセン城の庭園はガーデニングの国オランダならではのレベルの高い庭園の数々でした。パリのお話はまた次回に。

ドイツ語の表示が普通に町に



全長60センチはありそうな大きな緋鯉が何匹も。
黒鳥もいましたよ







N子さんの還暦祝いパーティの様子



12月:まさか、こんなに長く日本にいることになるとは思っていませんでした。夫のスケジュールの都合で私が戻るタイミングを逸してしまった訳ですが、久しぶりに会う友人とのランチやディナー、音楽会、それに長男の一時帰国に合わせて日本に居られた上に、孫たちとも心行くまで同じ時間を共有できたことは本当に幸せなことでした。




Bagumamaの2011年はこんな一年でした -part1-


2011年、あっという間に過ぎてしまった感がありましたけれど、写真を眺めながら振り返ってみると随分いろいろなことがありました。

1月:恒例のFrankfurt詣で。Paperworld出展を応援するために2週間ほどオランダに滞在し、電車でフランクフルト往復しました。夫は日本から直接フランクフルト入りで、帰りも別行動。私は凍り付いたオランダの大地で一人暮らしの2週間。

3月:日本からオランダの業務をサポートしながら、そろそろ用事を作ってオランダに飛ぼうと考えていた矢先に3.11の大地震、私も東京の自宅で地震の恐ろしさを体験しました。あの頃を思い出してみて、時間が止まってしまったような、何もかもがそれまでの連続する時間の流れから切り離された異次元に日本全体がワープしてしまったような感覚だったように思います。現場で筆舌に尽くしがたい現実と向き合っている大勢の人のことを思うと呑気な話ですが。被災地の復興を願い、人々の心の傷が早く癒えますよう。。。

4月・5月:大輔・さくらに会いにトンボ帰りしたり、その大輔と東京から日帰りで軽井沢まで行ってみたり、札幌まで一泊旅行してみたり、5月末から長期のオランダ出張を前にしばし日本の暮らしを楽しみました。
札幌駅前の紀伊国屋書店の2階カフェ。コーヒーを飲みながら本が読める最高の場所でした



大輔・さくら・パパ
神戸港でConcertoのティークルーズ
新幹線大好き!の大輔と軽井沢へ

5月・6月・7月:5月も終わる頃、スーツケース一つでオランダへ向かいました。今回はどのくらい長くなるか皆目検討がつかない中、ヨーロッパビジネス立て直しの最後のチャンスとして、夫と二人で長期戦を覚悟。会社の実態はアムステルダム近郊のオフィスから完全に南部の小さなオフィスに移り、私たちはB&Bに腰を据えて、毎日30分かけて森や畑の間を通う完璧田舎暮らしが始まりました。


本社の全面的応援をバックに背水の陣で臨んだディーラー会議
今後の商品開発路線を決める大事な一日でした
DesireeのB&B、奥が広いシャワールーム、手前にベッドルームあり

B&Bから一歩外に出るとあっちでもこっちでも馬に出会えます


普段はサンドイッチ程度のシンプルな食事ですが、
近隣の町で開催されたフードフェスティバルにはこんなフレンチのテイストも

2011年12月4日日曜日

青テント

2週間の予定で一時帰国、明日帰るはずだったのですが、急遽変更して、またしばらく日本にとどまることになりました。すぐ戻るのだから、とスーツケースに詰める予定品を並べておいたけれど元に戻しました。約3ヶ月の間の雨風で汚れに汚れた窓ガラス、どうせまた留守の間に汚れるのだからときれいにするつもりなかったけれど、やっぱり窓拭きしなくてはと思っているところです。

その窓から多摩川を見下ろすと、川べりに並んだ青テント。ウソでしょう!?
急に数が増えたみたい。

2009年に日本に戻ってきた時は、窓から見える範囲に青色は一個もありませんでした。多摩川ベリを少し歩いて初めて数件の青テント住居に出会う程度でした。それも東京都側だけだったのに、その後、窓から見おろせる神奈川側に少しずつ青色が目立ち始め、今は10数軒並んでいます。

どんな人たちが住んでいるのだろうか。
ご近所付き合いなんていうのもあるんだろうか。

これから寒くなってくると大変だろうな。

オランダには運河に浮かんだボートを住居にしている人が大勢います。
きれいなカーテンがかかった窓の向こうにはキッチンの様子やゆったりしたリビングルームも見えます。庭まで作っている人もいます。

ボートには住居表示もあり、ちゃんと住民登録されているみたいです。

状況が全く異なるから比較なんてすべきではないのかもしれませんが、青いテントに住む人がこれからも増え続けるのだったら、何か、もう少し人間らしい住処を提供してあげられないものだろうか、と考える今日この頃です。